モデル・俳優として活躍する高橋メアリージュンさん。華やかなビジュアルと存在感のある演技で知られていますが、若い頃には滋賀県での生活や父親の会社倒産、アメリカ・ラスベガスでの滞在など、現在の華やかなイメージからは想像しにくい経験を重ねてきました。
芸能界入りのきっかけは、16歳の頃に挑戦した「横浜・湘南オーディション」でのグランプリ獲得です。その後、ファッション誌『CanCam』の専属モデルを経て、2012年にはNHK連続テレビ小説『純と愛』で俳優としてのキャリアを本格的にスタートさせました。2026年にはドラマやバラエティー、配信番組など活動の幅をさらに広げています。
【高橋メアリージュンの若い頃】滋賀県での生い立ちと家族の存在

高橋メアリージュンさんは、1987年11月8日生まれ。滋賀県出身のモデル・俳優です。所属事務所の公式プロフィールでは、身長169cm、血液型A型と紹介されています。
日本人の父親とフィリピン人の母親を持ち、4人きょうだいの長女として育ちました。妹はモデル・タレントとして活動する高橋ユウさん、弟はプロサッカー選手の高橋祐治さんです。
父親は牛乳販売店を経営していました。幼少期は比較的裕福な家庭で、5LDKの住宅や大理石の浴室がある暮らしを送っていたことも、本人と妹のテレビ出演時の発言から伝えられています。
一方、母親はフィリピン出身。高橋さんは日本とフィリピン、双方の文化に触れながら成長しました。2026年のSTORYのインタビューでも、自分のルーツや家族との関係について語っています。
中学1年生のときに父親の会社が倒産高橋メアリージュンさんの人生を大きく変えたのが、父親の事業の経営難でした。
本人が2025年の日本テレビ系『アナザースカイ』出演時に振り返ったところによると、中学1年生の頃、父親から家族に会社の経営がうまくいかなくなったことを告げられました。
その出来事を家族で訪れていた琵琶湖のほとりで話し合ったことから、きょうだいの間では「琵琶湖会議」と呼んでいるそうです。
高橋さんは当時の心境を、次のように振り返っています。
「私がみんなを守っていこう」
中学生という多感な時期に、家族を支えるという意識が芽生えたことは、その後の進路選択にも影響しました。
家庭の経済状況は急激に変化し、住まいも以前より小さな家へと移っていきました。2026年の東急リバブルのインタビューでは、引っ越すたびに家が小さくなっていったことを、本人がユーモアを交えて語っています。
ただし、本人が強調しているのは、経済的に苦しくなっても家族の明るさは失われなかったということです。母親の前向きな考え方も、彼女の人生観を形づくる大きな要素になりました。
【15歳のアメリカ滞在と16歳の挑戦】芸能界入りまでの意外な経緯
15歳頃、ラスベガスの叔母のもとで過ごした理由高橋メアリージュンさんの若い頃の写真を探している人が注目したいのが、15歳頃のアメリカ滞在です。
2023年9月、テレビ東京系『二軒目どうする?~ツマミのハナシ~』に出演した際、番組で紹介された15歳当時の写真について、本人がアメリカにいた頃のものだと説明しました。
一般的に海外留学と聞くと、語学習得や進学を目的とした華やかな経験を想像する可能性があります。しかし、高橋さんの場合は家庭の経済事情が背景にありました。
本人によると、家計が苦しく、4人の子どもを育てることが難しい状況になったため、母親の妹にあたる叔母が住んでいたアメリカ・ラスベガスに預けられたそうです。
つまり、芸能界入り前のアメリカ滞在は、単純な海外留学というよりも、親戚の支援を受けながら生活するための選択でした。
このエピソードは、2023年のスポニチアネックスやデイリースポーツでも紹介されています。
横浜・湘南オーディションを受けたきっかけ芸能界入りにつながったのは、オーディション雑誌との出会いでした。
高橋さんは自身の公式ブログで、15歳の頃にオーディション雑誌を見つけ、滋賀県から横浜・湘南オーディションに応募した経緯を詳しく振り返っています。
最初の書類審査には通過したものの、次の審査会場は横浜・湘南。交通費は自己負担という条件でした。
当時の高橋家には新幹線代を捻出する余裕がなく、本人はいったん参加を諦めようとしたそうです。
しかし、父親が車で横浜まで送ると申し出てくれました。公式ブログによれば、家族で車に乗り、約7時間かけて会場まで向かったといいます。
オーディションでは30秒間の自己PRを実施。最終審査ではランドマークのステージで歌を披露しました。
本人は緊張して歌の音を外してしまい、結果発表のときも自分が選ばれるとは思っていなかったと振り返っています。
ところが、最後に発表されたグランプリに選ばれたのが高橋メアリージュンさんでした。
この経験は、単に芸能界への切符を手にした出来事ではありません。父親の応援と家族の協力が、彼女の人生を大きく動かした瞬間でもありました。
【2003年グランプリからCanCam専属モデルへ】若い頃の経歴年表
横浜・湘南オーディションでグランプリを獲得高橋メアリージュンさんは、2003年に横浜・湘南オーディションでグランプリを獲得しました。16歳で芸能界入りのきっかけをつかんだことは、2025年の日刊スポーツや2026年のSTORYでも紹介されています。
その後、2004年に『CanCam』モデルとして活動を開始。2006年3月からは専属モデルとして誌面を飾るようになりました。
当時の『CanCam』は、蛯原友里さんなど人気モデルが活躍していた女性ファッション誌です。高橋さんもその一員として、若い女性を中心に知名度を高めていきました。
CanCam時代に見せた努力家の一面2021年のCanCam.jpによる歴代専属モデルインタビューでは、モデル時代の高橋さんについて、撮影後に自分の写真を見返してポージングを確認するなど、人一倍努力していたことが紹介されています。
また、ダンスやギター、殺陣などにも積極的に取り組んでいたそうです。
当時の愛称は「メアリー」。本人は、撮影現場で蛯原友里さんから「ジェニファー」と呼ばれた思い出も語っています。名前を間違えられても、気さくに接してもらえたことがうれしかったというエピソードです。
約8年間のモデル活動を経て、2012年には専属モデルを卒業。次のステージへ進むことになります。
高橋メアリージュンの若い頃から現在までの年表| 時期 | 出来事・関係人物 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1987年 | 誕生 | 11月8日、滋賀県で生まれる。 |
| 中学1年生頃 | 父親・家族 | 父親の事業が経営難となり、家族の生活が変化。 |
| 15歳頃 | 母方の叔母 | 家庭の経済事情からアメリカ・ラスベガスで過ごす。 |
| 2003年 | 横浜・湘南オーディション | グランプリを獲得し、芸能界入り。 |
| 2004年 | CanCam | ファッション誌のモデルとして活動を開始。 |
| 2006年3月 | CanCam | 専属モデルとして本格的に活動。 |
| 2012年 | NHK『純と愛』 | マリヤ役で俳優としての転機を迎える。同年、CanCam専属モデルを卒業。 |
| 31歳 | 家族・きょうだい | 家族が抱えていた借金を完済。 |
| 2026年 | ドラマ・配信・テレビ | 『エミリとマリア』『GTO』などに出演。配信番組のMCも務める。 |
※年表は所属事務所の公式プロフィール、本人の公式ブログ、CanCam.jp、各種インタビュー・報道をもとに整理しています。15歳頃のアメリカ滞在とオーディションの応募・受賞時期は、本人の回想や報道によって年齢の表現に幅があります。
【2012年『純と愛』で女優デビュー】モデルから俳優へ転身した理由
朝ドラのオーディションが大きな転機にモデルとしてキャリアを築いた高橋メアリージュンさんが俳優としての道を切り開いた作品が、NHK連続テレビ小説『純と愛』です。
2012年に放送された同作で、高橋さんはマリヤ役を演じました。
2026年のSTORYのインタビューによると、当初はヒロインのオーディションに参加したものの、ヒロインには選ばれませんでした。しかし、制作側が彼女のために新たな役を設け、それがマリヤ役につながったそうです。
この役はフィリピン人という設定で、実際にフィリピンにルーツを持つ高橋さんにとって、母親の話し方などを参考にしながら演じられる役柄でした。
本人は初めての俳優の仕事を楽しく感じていた一方、当初はこの役だから起用されたのだと考え、俳優を続けることを決めていなかったと振り返っています。
武田鉄矢さんの言葉が俳優人生を後押し俳優としての活動を続ける決意につながったのが、『純と愛』で共演した武田鉄矢さんの言葉でした。
STORYの2026年のインタビューで、高橋さんは武田さんから俳優としての魅力を認められ、続けるよう励まされたことを明かしています。
また、ほかの共演者やスタッフからも背中を押されたことで、自分の可能性を信じて俳優の道に進む決心をしたそうです。
モデル時代には女優に向いていないと言われたことも興味深いのは、俳優として活躍する現在とは対照的に、モデル時代にはプロデューサーから「君は女優顔じゃないから、女優は無理だね」と言われた経験もあったことです。
2026年のインタビューで本人が明かしたこのエピソードは、外見だけで演技者としての適性を判断されることへの葛藤を感じさせます。
しかし、『純と愛』をきっかけに演技の仕事を続け、映画やドラマで幅広い役柄を演じるようになりました。
その後は『闇金ウシジマくん』シリーズなどにも出演。モデルとして培った表現力に加え、役柄に合わせた身体表現や存在感を生かし、俳優としての個性を確立していきました。
【貧乏時代のエピソードと家族の借金完済】31歳まで続いた努力
最初の給料7万円から6万円を実家へ高橋メアリージュンさんの若い頃を語るうえで欠かせないのが、家族を支えるために働いていた経験です。
2021年3月、妹の高橋ユウさんとともに関西テレビ『おかべろ』に出演した際、少女時代の経済的な苦労を明かしました。
父親の会社が経営難に陥った後、生活は大きく変わりました。クリスマスの食事がインスタントラーメンになったり、お肉を買えず、ご飯に焼き肉のタレをかけて食べたりしたこともあったそうです。
加えて、中学生の頃から週5日アルバイトを始め、収入を実家に入れていたといいます。
芸能界入り後も家族を支える生活は続きました。CanCamのモデルとして初めてもらった給料は7万円。そのうち6万円を実家に入れ、残りの1万円で1か月を過ごしていたことを明かしています。
好きなあんパンを1個購入し、3つに分けて少しずつ食べていたという話からも、当時の生活の厳しさが伝わります。
父親の借金は5000万円以上?きょうだいで協力して返済父親が抱えていた借金については、複数のテレビ出演やインタビューで語られています。
2026年3月4日放送のフジテレビ系『ぽかぽか』では、高橋さんが実家の借金について説明。借金の総額は「たぶん5000万円以上あったんじゃないですか」と話しました。
そして、31歳のときに返済を終えたことも明かしています。
注目したいのは、本人が1人で返済したわけではないという点です。妹の高橋ユウさんや弟の高橋祐治さんら、4人きょうだいで協力しながら返済を続けてきたと説明しています。
2021年の『おかべろ』出演時にも、借金を完済したことや、返済に約16年かかったことを語っていました。
家族を支えることが仕事への原動力になった高橋さんは2026年のSTORYのインタビューで、モデル時代には家族の借金を返すという目標があったため、稼いだお金の多くを返済に充てていたと振り返っています。
この経験について興味深いのは、経済的な困難が単に苦労の記憶として残っているだけではないことです。
2026年の東急リバブルのインタビューでは、31歳で借金を完済したとき、今度は自分が何をしたいのか分からなくなったという心境も語っています。
長年の目標を達成したことで、仕事に対するモチベーションや人生の優先順位を改めて考えるようになったのです。
その後、瞑想を始めるなど、自分自身の心と向き合う時間も大切にするようになりました。
家族を支えるために始めた芸能活動が、やがて自分自身の人生を豊かにする仕事へと変化していった点は、彼女のキャリアを理解するうえで重要です。
【2026年最新】高橋メアリージュンの現在は?出演作品と活動の広がり
2026年もドラマ・テレビ・配信番組で活躍2026年11月4日現在、高橋メアリージュンさんは38歳。所属事務所の公式プロフィールでは、モデル・俳優としての活動が継続して掲載されています。
2026年には、MBSドラマ特区『エミリとマリア』でW主演を務めたほか、カンテレ・フジテレビ系のドラマ『GTO』にも出演しました。
また、ABEMAの『ラブキャッチャージャパン3』ではMCを担当。テレビ番組では『ネプリーグ』『沸騰ワード10』『ネタパレ』などへの出演も掲載されています。
雑誌分野では、2026年10月29日に宝島社の『InRed』特別編集ムックの表紙を飾るなど、モデルとしての活動も続けています。
2026年には企業の取締役CPROにも就任2026年2月には、ENCOUNTのインタビューで、株式会社Zが運営する生き活支援アプリ「JAANE(じゃあね)」に関わり、同社の取締役CPROに就任したことが報じられました。
この活動の背景には、16歳の頃に初恋の相手を突然亡くした経験があったといいます。大切な人に思いを伝えておくことの重要性を実感したことが、サービスの趣旨に共感する理由になったそうです。
若い頃から家族や大切な人との関係を大事にしてきた高橋さんにとって、俳優業以外の分野で人生観を伝える活動も、新たな挑戦の一つとなっています。
若い頃と現在で変わったこと、変わらないこと若い頃の高橋さんは、家族を守ることや借金を返済することを目標に、モデルの仕事に打ち込んでいました。
現在は俳優として多様な役柄に挑戦しながら、バラエティーや配信番組、社会的な活動にも関わっています。
一方、家族を大切にする姿勢や、困難を前向きに受け止める考え方は、若い頃から一貫しています。
2026年のインタビューでは、フィリピンにルーツを持つことへの葛藤についても語っており、自分のアイデンティティーを受け入れたことで、周囲の声に振り回されにくくなったと明かしています。
モデルとしての華やかさだけでなく、人生経験を重ねた俳優としての深みも、現在の高橋さんの魅力につながっています。
【高橋メアリージュンの若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高橋メアリージュンは若い頃、何歳で芸能界に入りましたか?
A1:2003年の横浜・湘南オーディションでグランプリを獲得したことが芸能界入りのきっかけです。本人の公式ブログでは15歳の頃に応募した経緯が紹介され、2026年のSTORYでは16歳のときの挑戦として語られています。
Q2:高橋メアリージュンは15歳の頃にアメリカへ留学していたのですか?
A2:15歳頃、家庭の経済事情から母方の叔母が住むラスベガスで過ごしていました。本人がテレビ番組で明かしたところによると、一般的な留学というより、親戚のもとに預けられた経験です。
Q3:高橋メアリージュンのCanCam専属モデル時代はいつですか?
A3:2004年にCanCamモデルとして活動を始め、2006年3月から専属モデルを務めました。2012年に卒業するまで約8年間、誌面で活躍しました。
Q4:高橋メアリージュンの女優デビュー作品は何ですか?
A4:2012年のNHK連続テレビ小説『純と愛』です。マリヤ役を演じ、共演した武田鉄矢さんらの言葉にも後押しされ、俳優としての活動を続ける決意を固めました。
Q5:高橋メアリージュンの父親の借金はいくらだったのですか?
A5:2026年3月の『ぽかぽか』出演時に、本人は「5000万円以上あったんじゃないですか」と説明しています。父親の会社の経営難によって生じた借金を、きょうだいで協力して返済しました。
Q6:高橋メアリージュンは何歳で家族の借金を完済しましたか?
A6:本人の説明によると、31歳のときです。妹の高橋ユウさんや弟の高橋祐治さんら、きょうだいで協力して返済を終えました。
Q7:高橋メアリージュンの母親はフィリピン人ですか?
A7:はい。父親は日本人、母親はフィリピン人です。『純と愛』で演じたマリヤ役もフィリピン人という設定で、母親の話し方などを役作りの参考にしたと本人が語っています。
Q8:高橋メアリージュンは2026年現在、何歳ですか?
A8:1987年11月8日生まれの38歳です。2026年11月8日に39歳を迎えます。2026年もドラマ、テレビ、配信番組、雑誌など幅広い分野で活動しています。
高橋メアリージュンさんの若い頃は、華やかなモデル活動だけで語れるものではありません。
滋賀県で家族と暮らし、父親の会社倒産による経済的な困難を経験。15歳頃にはラスベガスの叔母のもとで過ごし、その後、横浜・湘南オーディションでグランプリを獲得しました。
2004年に『CanCam』モデルとして活動を始め、2006年から専属モデルとして活躍。2012年には『純と愛』をきっかけに俳優としてのキャリアを切り開きました。
また、家族の借金を返済するために仕事に打ち込み、31歳で完済した経験も、彼女の人生を語るうえで欠かせない出来事です。
2026年現在は俳優・モデルとして活動するだけでなく、配信番組のMCや企業活動にも挑戦しています。
高橋メアリージュンさんの若い頃を知る際に注目したいのは、写真や当時の華やかな姿だけではありません。芸能界入りの背景、家族との絆、モデルから俳優へと進んだ転機を合わせて見ることで、現在の幅広い活躍につながる人生の歩みがより鮮明になります。
16歳でつかんだチャンスを出発点に、経験を糧として新しい分野へ挑戦し続ける姿は、現在の高橋メアリージュンさんを理解する大きな手がかりです。
主な参照資料
- 所属事務所・エイジアプロモーション公式プロフィール(2026年出演情報)
- 高橋メアリージュン公式ブログ「メアリージュン、24歳ブログ。」
- CanCam.jp「歴代専属モデルを直撃」
- STORY(2026年4月29日)本人インタビュー
- 日刊スポーツ(2025年2月16日)
- スポニチアネックス(2026年3月4日)
- デイリースポーツ(2021年3月20日)
- ENCOUNT(2026年2月21日)
- 東急リバブル「Lnote」(2026年5月27日)