栃乃若(とちのわか)こと栃乃若導大(とちのわか・みちひろ)は、兵庫県尼崎市出身、春日野部屋に所属した元大相撲力士です。本名は李大源。報徳学園高校時代に高校横綱に輝き、恵まれた体格と左四つからの力強い寄りを武器に、最高位の前頭筆頭まで昇進しました。日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は267勝244敗11休、幕内戦歴は106勝156敗8休です。
一方、2014年12月には26歳という若さで現役引退を発表しました。引退会見で本人が語ったのは、身体の故障ではなく、思うような相撲が取れないことへの悔しさと、力士を続ける気力を維持できなくなったという胸の内でした。引退後は一般企業に転身し、2017年には健康関連企業で働く姿も紹介されています。2026年11月時点で確認できる経歴、引退理由、現在につながる職業上の歩みを整理します。
【人物プロフィール】栃乃若導大とはどんな力士だったのか?

栃乃若導大は、恵まれた体格と高校相撲での実績を背景に、将来を期待された大型力士です。現役時代は春日野部屋に所属し、幕内で18場所を経験しました。
本名・出身地・所属部屋などの基本情報日本相撲協会の公式力士プロフィールに掲載されている基本情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 栃乃若 導大 |
| 読み方 | とちのわか みちひろ |
| 本名 | 李 大源 |
| 生年月日 | 1988年4月6日 |
| 出身地 | 兵庫県尼崎市 |
| 出身高校 | 報徳学園高校 |
| 所属部屋 | 春日野部屋 |
| 身長 | 195cm |
| 体重 | 177kg |
| 得意技 | 左四つ・寄り |
| 最高位 | 前頭筆頭 |
| 生涯戦歴 | 267勝244敗11休 |
| 幕内戦歴 | 106勝156敗8休 |
| 引退場所 | 2015年1月場所 |
栃乃若の特徴は、195cmという長身と177kgの体格です。相手との距離を保ちながら組み合い、長い腕と体格を生かして前に出る相撲が持ち味でした。
本名の李大源と四股名の栃乃若導大は、どちらも本人を指す名前です。日本相撲協会の公式プロフィールでは、四股名の履歴も「李」から「栃乃若」への変更として記録されています。
なお、最高位の前頭筆頭は幕内上位に位置する番付です。大関や関脇、小結といった三役には到達していませんが、幕内上位で戦う実力を示したことは、栃乃若の経歴を評価するうえで欠かせません。
【経歴・年表】報徳学園の高校横綱から前頭筆頭への道
栃乃若の相撲人生を振り返ると、高校時代の全国制覇、春日野部屋への入門、短期間での関取昇進、そして幕内上位への進出という流れが浮かび上がります。
高校横綱に輝いた報徳学園時代栃乃若は小学校2年生から相撲を始め、中学・高校でも相撲に取り組みました。進学先は兵庫県の報徳学園高校です。
高校3年時には全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の相撲競技で優勝し、高校横綱の称号を獲得しました。全国レベルの実績を引っ提げて角界に進んだことから、入門当初から将来性を期待されていた選手です。
2017年のATHLETE LIVEの本人インタビューでも、高校時代にインターハイで優勝したことや、春日野部屋に入門して幕内の西前頭筆頭まで昇進した経歴を振り返っています。
栃乃若の主要経歴と転換点| 時期 | 出来事 | 経歴上の意味 |
|---|---|---|
| 1988年4月 | 兵庫県尼崎市で生まれる | 本名は李大源 |
| 高校時代 | 報徳学園高校でインターハイ優勝 | 高校横綱に輝く |
| 2007年1月 | 春日野部屋から初土俵 | 四股名は当初「李」 |
| 2009年11月 | 四股名を栃乃若に変更 | 幕下時代の転換点 |
| 2010年9月 | 新十両 | 関取に昇進 |
| 2011年5月 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 2012年3月 | 西前頭筆頭 | 自己最高位に到達 |
| 2014年11月 | 九州場所で3勝12敗 | 十両への降格が見込まれる |
| 2014年12月 | 引退届を提出、引退会見 | 26歳で現役生活に幕 |
| 2015年1月 | 日本相撲協会の記録上の引退場所 | 断髪式も実施 |
2007年1月場所で初土俵を踏んだ栃乃若は、2010年9月場所に新十両となりました。初土俵から約3年半で関取に昇進したことは、当時の期待の大きさを示しています。
2011年5月技量審査場所では新入幕を果たします。幕内入り後も体格を生かした相撲で番付を上げ、2012年3月場所には西前頭筆頭に到達しました。
この時期には、大関だった稀勢の里を破る相撲も見せています。2012年春場所初日に稀勢の里を押し倒した一番は、栃乃若の身体能力と潜在能力を印象づける取組として報道されました。
師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)も、将来は部屋だけでなく日本相撲協会を背負う人材になると期待していたことを、引退会見時の報道で明かしています。
【相撲の実力】栃乃若の得意技・左四つと寄りの強さ
栃乃若の相撲を理解するうえで重要なのが、得意技として公式プロフィールに記載されている「左四つ・寄り」です。
左四つとは?長身を生かした組み手左四つとは、相手と組んだときに左手を相手の右腕の内側から差し、組み合う形を指します。相手の体勢を崩しながら、自分が有利な位置を確保するための基本的な組み手です。
栃乃若の場合、195cmの長身と大きな体格が、この組み手を生かすうえでの強みでした。相手を正面に捉え、十分に組んでから前進する展開が持ち味でした。
寄りを中心とした攻め寄りは、相手に密着した状態で前進し、土俵の外へ押し出すようにして勝負を決める攻め方です。栃乃若は左四つからの寄りを得意としており、力強く前に出る取り口が特徴でした。
日本相撲協会のプロフィールに掲載されている決まり手の傾向でも、寄り切りが最も高い割合を占めています。続いて押し出し、上手投げが挙げられており、組んで前に出る相撲が中心だったことが分かります。
通算成績から見る幕内力士としての実績栃乃若の生涯戦歴は267勝244敗11休。幕内では106勝156敗8休を記録しました。幕内在位は18場所です。
一方、日本相撲協会の公式記録では、幕内優勝、三賞、金星はいずれも0回となっています。前頭筆頭まで昇進した実力者でありながら、三役や三賞には届かなかったという点も、現役時代を振り返る際の重要な事実です。
つまり、栃乃若は幕内上位まで駆け上がった大型力士である一方、期待された潜在能力をすべて成績に結びつけることはできなかった力士でもありました。
【引退理由の真相】2014年の引退会見で栃乃若が語ったこと
栃乃若の引退が大きな話題になった理由の一つは、26歳という年齢でした。最高位は前頭筆頭。まだ競技生活を続けられる年齢であり、身体的にも恵まれた力士だったため、突然の引退発表は周囲を驚かせました。
2014年12月15日に引退届を提出2014年11月の九州場所で、栃乃若は東前頭15枚目として3勝12敗という成績に終わりました。翌2015年1月場所では十両への降格が見込まれる状況でした。
冬巡業を終えた後、師匠の春日野親方に引退の意思を伝え、12月15日に日本相撲協会へ引退届を提出しました。翌16日には東京都内の春日野部屋で記者会見を開いています。
本人が明かした引退理由は気力の限界2014年12月17日付のデイリースポーツは、引退会見での本人の発言を次のように報じています。
「体がどこも悪くないのに、ふがいない相撲ばかりが目立つようになり、自分の中で気力を保つのが難しくなった」
この発言から分かるのは、引退の直接的な理由が、身体の故障や競技能力の喪失ではなかったということです。
本人にとって苦しかったのは、稽古を続けていても期待に応えられる相撲が取れないことでした。自分自身の相撲に納得できず、これからも力士として努力を続けるための気持ちを保つことが難しくなったのです。
また、引退については突然の決断ではなく、約2年前から考えていたことも明かしました。周囲には急な引退に映りましたが、本人の中では長い時間をかけて考えた選択だったことがうかがえます。
師匠の春日野親方も驚いた突然の決断引退会見に同席した春日野親方は、本人の決断を「青天の霹靂」と表現しました。部屋だけでなく協会を背負って立つ人材になると期待していたため、師匠にとっても大きな衝撃だったようです。
報道では、師匠が栃乃若の取り口を変えようとしたことへの不満があったとも伝えられています。ただし、これが引退の決定的な理由だったと本人が会見で認めたわけではありません。
引退理由を理解するうえで最も重視すべきなのは、本人が説明した気力の問題と、自分の相撲への悔しさです。
最高の思い出は2011年九州場所の日馬富士戦引退会見で栃乃若は、現役時代の最高の思い出として、2011年九州場所で当時大関だった日馬富士に勝った一番を挙げました。
前頭筆頭まで昇進した栃乃若にとって、強豪との取組で結果を残した経験は、力士人生を象徴する記憶だったのでしょう。
会見では、相撲界で精神面や何事にも立ち向かう勇気を学んだと振り返り、次の世界でも勇気を持って挑戦したいという趣旨の言葉を残しています。
【引退後の生活・職業】栃乃若は現在何をしている?2026年最新情報
栃乃若の引退後については、本人が受けたインタビューから、一般企業に転職して新しいキャリアを築いたことが分かっています。
2015年の断髪式で語った第二の人生2015年1月31日、東京都千代田区の如水会館で栃乃若の断髪式が行われました。
デイリースポーツの報道によると、式には栃煌山や栃ノ心ら春日野部屋の関取衆、親方衆、後援会関係者など約120人が出席。師匠の春日野親方が最後に大銀杏を切り落としました。
本人は約8年間の力士生活を振り返り、相撲界で人とのつながりの大切さを学んだと感謝を述べています。当時は今後の職業について未定で、一般社会で社会に貢献したいという意向を示していました。
2017年には白寿生科学研究所に勤務引退後の具体的な職業が明らかになったのは、2017年8月22日公開のATHLETE LIVEによる本人インタビューです。
同インタビューでは、栃乃若こと李大源が、健康関連企業の株式会社白寿生科学研究所に入社し、ハクジュプラザ東中野店で店長を務めていると紹介されました。
主な仕事は、ヘルストロンという電位治療器について来店客に説明することや、健康に関するアドバイスをすることでした。
本人はもともと健康分野に興味があり、引退前から健康に関係する仕事を考えていたと説明しています。相撲一筋だった生活から一般企業へ移ることには不安もあったものの、新しいことに挑戦する楽しさを感じていたようです。
引退後の仕事を選んだ理由興味深いのは、栃乃若が引退後のキャリアについて、単に相撲から離れるための仕事を選んだわけではないと語っている点です。
2017年のインタビューでは、相撲だけの人生を考えていたわけではなく、スポーツ以外の分野にも挑戦したかったと説明しています。
健康分野への関心は、現役時代から持っていたものでした。競技生活で身体と向き合ってきた経験を、一般の人々の健康に関する仕事へつなげたことは、引退後のキャリアを考えるうえで注目できる部分です。
2026年現在の勤務先・職業はどこまで分かっている?2026年11月時点で、本人の近況を把握するうえで具体的な職務内容まで確認できる主要な公開資料は、2017年のATHLETE LIVEのインタビューです。同記事では、白寿生科学研究所の社員としてハクジュプラザ東中野店の店長を務めていたことが明記されています。
ただし、この情報は2017年当時のものです。2026年現在も同じ会社に在籍しているのか、同じ店舗で店長を続けているのか、あるいは別の職務に就いているのかについて、最新の本人発表や勤務先による役職確認は見当たりません。
したがって、現在について確実に整理できるのは、引退後に一般企業へ転身し、少なくとも2017年には健康関連の仕事に携わっていたという経歴です。2026年の現職や日常生活を具体的に断定できる公表情報は限られています。
【プロの結論】栃乃若の力士人生から見える実績と早期引退の意味
栃乃若の現役生活を評価するとき、単純に最高位や通算勝ち星だけで判断するのは十分ではありません。高校横綱から幕内上位へ駆け上がった実績と、26歳で自ら土俵を去った決断の両方を見る必要があります。
評価ポイント1:高校相撲からプロへの適応力報徳学園高校で高校横綱に輝き、2007年に入門。2010年には十両、2011年には幕内へ昇進しました。高校時代の実績をプロの土俵でも形にした点は、栃乃若の大きな強みです。
とくに前頭筆頭まで到達したことは、単に大型力士として注目されただけではなく、幕内上位で戦う力を実際に示した証拠です。
評価ポイント2:期待と成績の間にあったギャップ一方、幕内優勝や三賞には届かず、三役にも昇進していません。生涯戦歴267勝244敗11休という数字には、幕内上位まで到達した時期と、その後の苦しい時期の両方が反映されています。
期待が大きかったからこそ、本人にとっては自分の相撲に納得できない状況が重くのしかかった可能性があります。引退会見で語った「ふがいなさ」という言葉は、単なる成績不振以上に、自分が目指す相撲と実際の結果との隔たりを表していたと考えられます。
評価ポイント3:引退は競技人生の失敗だったのか栃乃若の引退を、期待に応えられなかった力士の挫折だけで説明するのは適切ではありません。
2017年の本人インタビューでは、引退を考え始めた時期について1、2年前からだったと説明し、相撲以外の人生にも挑戦したかったと語っています。また、年齢や身体の限界、けがが理由ではなかったとも振り返っています。
つまり、2014年の会見で説明した気力の限界と、引退後に本人が語った新しい分野への挑戦意欲は、必ずしも矛盾しません。自分の相撲に納得できなくなったことと、別の人生を経験したいという気持ちが重なっていたと理解できます。
栃乃若について情報を調べる際の判断基準栃乃若の経歴や現在を調べる際には、次の3点を区別すると情報の混乱を避けられます。
- 現役時代の成績:日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された267勝244敗11休、幕内106勝156敗8休を基準にする。
- 引退理由:2014年12月の本人会見で語った気力の限界を中心に理解する。師匠との意見の相違など、報道上の推測と本人の説明は区別する。
- 引退後の職業:2017年の本人インタビューで確認できる白寿生科学研究所での勤務歴と、2026年の現職情報を混同しない。
栃乃若は、早くから才能を認められ、幕内上位まで駆け上がった力士でした。そして引退後は、健康分野の仕事に挑戦しました。相撲界での成績だけでなく、その後の人生も含めて見ることで、栃乃若導大という人物の歩みがより立体的に見えてきます。
【よくある質問】栃乃若の経歴・引退理由・現在に関するFAQ
Q1:栃乃若の本名は何ですか?
A1:本名は李大源(り・だいげん)です。四股名は栃乃若導大で、読み方は「とちのわか・みちひろ」です。
Q2:栃乃若の最高位は何ですか?
A2:最高位は前頭筆頭です。2012年3月場所に西前頭筆頭まで昇進しました。
Q3:栃乃若の生涯戦歴と幕内成績は?
A3:日本相撲協会の公式記録によると、生涯戦歴は267勝244敗11休、幕内戦歴は106勝156敗8休です。
Q4:栃乃若はなぜ26歳で引退したのですか?
A4:2014年12月の引退会見で、身体に問題はなかったものの、思うような相撲が取れず、力士を続ける気力を保つことが難しくなったと説明しました。引退は約2年前から考えていたとも語っています。
Q5:栃乃若の引退後の職業は何ですか?
A5:2017年の本人インタビューでは、株式会社白寿生科学研究所に勤務し、ハクジュプラザ東中野店の店長として健康関連機器の説明や健康アドバイスを行っていたことが紹介されています。
Q6:栃乃若は2026年現在も白寿生科学研究所で働いていますか?
A6:2017年時点での勤務は確認できますが、2026年現在の在籍状況や役職を確定できる最新の本人発表は確認されていません。同じ職場で働いていると断定することはできません。
Q7:栃乃若は高校横綱だったのですか?
A7:はい。報徳学園高校時代にインターハイ相撲競技で優勝し、高校横綱に輝いています。その実績を背景に2007年1月場所で初土俵を踏みました。
栃乃若導大は、報徳学園高校で高校横綱に輝き、春日野部屋から幕内へ進出した元力士です。最高位は前頭筆頭、生涯戦歴は267勝244敗11休、幕内戦歴は106勝156敗8休。左四つからの寄りを得意とする大型力士として活躍しました。
2014年12月の引退は、身体の故障ではなく、思うような相撲が取れないことへの悔しさと気力の限界が理由でした。本人は約2年前から引退を考えており、相撲以外の世界にも挑戦したいという思いを持っていました。
引退後は白寿生科学研究所に入社し、2017年には健康関連の仕事に携わっていたことが本人インタビューで明らかになっています。一方、2026年現在の具体的な勤務状況や生活については、新しい公表情報が限られています。
栃乃若の力士人生は、期待された才能、幕内上位への到達、そして自分自身で選んだ早期引退という複数の側面から成り立っています。土俵を離れた後も新しい分野に挑戦した歩みは、元力士のセカンドキャリアを考えるうえでも興味深い事例です。