2026年11月現在、元関脇琴富士こと小林孝也(こばやし・たかや)さんは、2025年8月8日午前7時43分、脳梗塞のため60歳で亡くなっています。 1991年の名古屋場所では東前頭13枚目から14勝1敗という圧倒的な成績で平幕優勝を達成。佐渡ケ嶽部屋から関脇まで昇進した実力者でした。引退後は粂川親方として後進を指導しましたが、日本相撲協会退職後はタレント活動や飲食業、さらには偽装結婚事件での有罪判決など、波乱の人生を歩みました。訃報は2025年8月10日に遺族の発表を受けて報じられています。
2026年に琴富士の現在を検索する人が知りたいのは、亡くなるまでの闘病生活だけではないでしょう。輝かしい相撲人生、1991年の歴史的な優勝、引退後の転身、そして報道された事件の真相まで、小林孝也さんの生涯には多くの転換点がありました。
【元関脇琴富士の現在】2025年8月8日に60歳で死去、死因は脳梗塞

元関脇琴富士の現在について、最も重要な事実は、2025年8月8日に神戸市内の自宅で亡くなったことです。
本名は小林孝也さん。1964年10月28日に千葉県千葉市で生まれ、佐渡ケ嶽部屋に所属した大相撲力士です。現役時代には関脇まで昇進し、平成初期の大相撲を彩った力士の一人でした。
共同通信の2025年8月10日の配信によると、小林さんは8日午前7時43分、脳梗塞のため神戸市の自宅で亡くなりました。享年60歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われました。
死去が報じられたのは2025年8月10日訃報はスポーツ紙や通信社を通じて全国に伝えられました。
日刊スポーツは、脳梗塞を発症してから約4年間にわたって自宅療養を続けていたことを報道。看病を続けた妻や関係者の証言を交え、晩年の生活についても伝えています。
また、報道によれば、亡くなる前年の2024年10月ごろには意識がなくなり、その後も療養が続いていました。
2026年に「琴富士は現在何をしている?」と検索される理由琴富士という名前を検索する人の多くは、1991年の優勝を知る相撲ファンや、引退後にテレビ番組で紹介された波乱の人生を覚えている人たちです。
一方、近年はYouTubeの「琴富士チャンネル」でも活動していたため、現在の動画更新や本人の近況を探す人もいます。
しかし、2025年8月の訃報によって、本人の新しい活動を追うことはできなくなりました。
2026年現在の琴富士について知るには、亡くなるまでの闘病生活と、相撲界を離れた後の歩みを振り返る必要があります。
【1991年名古屋場所で14勝1敗】琴富士が平幕優勝を果たした伝説の15日間
琴富士の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、1991年7月の名古屋場所です。
この場所で琴富士は、東前頭13枚目という番付から幕内最高優勝を達成しました。
当時の大相撲には千代の富士、北勝海、旭富士、小錦など、強力な実力者がそろっていました。そのなかで、三役ではない平幕力士が優勝争いを制したことは、大きな話題となりました。
東前頭13枚目から13連勝の快進撃琴富士は1991年名古屋場所で初日から13連勝を記録しました。
優勝争いを大きくリードする展開でしたが、14日目には当時の貴花田に敗れています。それでも最終的に14勝1敗という素晴らしい成績を残し、幕内初優勝を手にしました。
この優勝は、平成に入って初めての平幕優勝としても知られています。
特筆すべきなのは、単に番付の低い力士が優勝したという点だけではありません。
琴富士は長身を生かした左四つからの寄りや右上手投げを得意としていました。体格を武器に相手を圧倒する力強い相撲が、優勝につながったのです。
琴富士の優勝が持つ意味平幕優勝とは、横綱・大関・関脇・小結ではない前頭の力士が幕内最高優勝を果たすことです。
琴富士はすでに関脇を経験していたものの、優勝時の番付は東前頭13枚目でした。
つまり、関脇まで上り詰めた実力者が番付を下げた後、再び幕内の頂点に立ったという経緯があります。
この点に、1991年の優勝のドラマがあります。
加えて、琴富士は現役時代に敢闘賞を2度受賞しています。幕内で37場所を務めた実績もあり、一場所限りの偶然で優勝した力士ではありません。
【琴富士の経歴・年表】佐渡ケ嶽部屋から関脇昇進、引退まで
琴富士こと小林孝也さんは、1964年10月28日生まれ。千葉県出身で、市立幕張中学校を卒業後、佐渡ケ嶽部屋に入門しました。
日本相撲協会の公式力士プロフィールにも、本名、所属部屋、初土俵、最高位、引退場所が記録されています。
琴富士の主な経歴一覧琴富士は1980年3月場所で初土俵を踏み、約8年半で幕内入りを果たしました。
その後も実力を伸ばし、1990年7月の名古屋場所で新関脇に昇進します。
最高位が関脇ということは、横綱や大関には到達していないものの、相撲界の上位で活躍した力士だったことを意味します。
特に当時は上位陣の層が厚く、関脇まで昇進するには安定した勝ち星と高い実力が求められました。
1995年の引退はなぜだったのか1991年の優勝後、琴富士はけがや体調不良などに苦しみました。
日刊ゲンダイの2023年の取材記事でも、優勝後に番付や体調面で苦しい時期を経験したことが紹介されています。
そして1995年秋場所を最後に現役を引退しました。
優勝から引退までの約4年間は、華やかな頂点から力士としての区切りへ向かう時期だったのです。
【引退後の琴富士】粂川親方からタレント、飲食業、YouTubeへ
琴富士は1995年の引退後、年寄名跡の粂川を襲名し、粂川親方として佐渡ケ嶽部屋に所属しました。
現役を退いても相撲界に残り、後進の指導に携わっていたのです。
しかし、その生活は長く続きませんでした。
粂川親方としての活動と日本相撲協会退職引退後の琴富士は、佐渡ケ嶽部屋付きの親方として活動していました。
ところが、1999年7月に日本相撲協会を退職します。
日刊スポーツやスポニチの報道によると、年寄名跡は借り株だったとされ、最終的に親方として相撲界に残る道を離れることになりました。
この退職は、琴富士の人生における大きな転換点でした。
現役時代のように相撲界での地位を生かすことが難しくなり、一般社会で新しい仕事を探す必要が生じたからです。
タレント活動や飲食店で働いた時期日本相撲協会を退職した後、琴富士はタレント活動や飲食業に携わりました。
焼き肉店の店長を務めたこともあり、テレビ番組に出演して相撲界を離れた後の生活を語る機会もありました。
2019年にはTBS系「爆報!THEフライデー」で、当時の生活が取り上げられています。
日刊スポーツの訃報記事でも、家賃5万円の6畳アパートで暮らしていた時期が紹介されました。
現役時代に華やかな土俵で活躍した力士が、引退後には生活基盤を一から築き直す。その変化は、元力士のセカンドキャリアの難しさを考えるうえでも印象的です。
「琴富士チャンネル」で相撲への思いを発信琴富士は晩年、YouTubeの「琴富士チャンネル」でも活動していました。
スポニチや日刊スポーツによると、自身のチャンネルを通じて相撲に関する内容や闘病生活などを紹介していたとされています。
また、神戸市内でリラクセーションサロンを運営していた時期もありました。日刊ゲンダイの取材では、サロンの仕事や相撲への思いについても紹介されています。
相撲界を離れた後も、琴富士にとって相撲は人生から切り離せない存在でした。
【琴富士の偽装結婚事件】2014年の逮捕から有罪判決までの経緯
琴富士の生涯を振り返るとき、避けて通れないのが2014年に報じられた偽装結婚事件です。
1991年に平幕優勝を達成した元関脇が、なぜ事件に関与し、どのような判決を受けたのでしょうか。
事件の経緯を時系列で整理します。
2014年2月に偽装結婚容疑で逮捕2014年2月20日、警視庁は元関脇琴富士こと小林孝也容疑者を逮捕しました。
問題となったのは、韓国籍の女性と結婚する意思がないにもかかわらず、婚姻届を提出したとされる行為です。
報道によると、女性に日本での在留資格を取得させる目的で、2013年2月6日に東京都台東区役所へ虚偽の婚姻届を提出した疑いが持たれました。
適用された容疑は、公正証書原本不実記載・同行使です。
逮捕当時の報道では、小林さんは実際の結婚であると主張して容疑を否認していたと伝えられています。
2014年5月1日に東京地裁が有罪判決その後、東京地検は2014年3月12日に小林さんらを起訴しました。
そして同年5月1日、東京地方裁判所は小林さんに対して、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。
判決では、女性の在留資格を不正に得るための計画的な犯行であることなどが指摘されたと報じられています。
この事件については、逮捕されたという情報だけが独り歩きすることがあります。
しかし、重要なのは逮捕で終わった事件ではなく、起訴され、裁判を経て有罪判決が出たという点です。
偽装結婚事件がその後の人生に与えた影響事件後の琴富士は、相撲界に戻ることなく、飲食業やタレント活動などを続けました。
日刊ゲンダイの2023年の取材では、引退後の競馬などのギャンブル、借金、事件による逮捕、そしてその後の生活が紹介されています。
ただし、事件だけを琴富士の人生のすべてとして扱うのは適切ではありません。
1991年の優勝という相撲界での実績と、2014年の刑事事件は、それぞれ別の事実として評価されるべきものです。
【琴富士の脳梗塞と闘病生活】2021年から約4年間続いた療養
琴富士の晩年を大きく変えたのが、2021年に発症した脳梗塞でした。
相撲界を離れ、タレント活動や飲食業などで再出発していた時期に、深刻な病気に見舞われたのです。
2021年、心臓の手術を控えた時期に脳梗塞を発症日刊ゲンダイが2023年1月に掲載した取材記事によると、小林さんは以前から糖尿病などの持病を抱えていました。
加えて、冠動脈に複数の狭窄が見つかり、心臓のバイパス手術を受ける予定になっていました。
ところが、2021年2月の手術を控えた時期に体調が悪化。手術後に脳梗塞が判明し、同月には頭蓋骨の一部を外して脳の腫れを抑える減圧開頭術を受けたと報じられています。
脳梗塞は命に関わる病気です。
琴富士の場合も重い後遺症が残り、日常生活に大きな影響が出ました。
右半身麻痺や会話の困難など、深刻な後遺症日刊ゲンダイの取材では、脳梗塞の後遺症として右半身の麻痺や会話が難しい状態になったことが紹介されています。
また、2021年9月には誤嚥性肺炎を発症し、再び危険な状態に陥ったと伝えられています。
その後、リハビリを続け、2022年4月に退院。自宅で訪問看護師や介護スタッフによるケアを受ける生活に移りました。
2023年1月の取材時点では、周囲の介護スタッフが協力して生活を支えていたことも報じられています。
妻や関係者の支えを受けながら自宅療養日刊スポーツの2025年8月の訃報記事では、妻の篠原弘美さんが長期間にわたって看病を続けていたことが紹介されました。
脳梗塞の手術後、琴富士は会話が難しくなったものの、意思表示や喜怒哀楽は表情や動作から伝わっていたといいます。
しかし、2024年10月には意識もなくなり、その後も療養が続きました。
そして2025年8月8日午前7時43分、神戸市の自宅で息を引き取りました。
【プロの結論】琴富士の人生は優勝と挫折、そして相撲への愛情で読み解く琴富士の生涯には、少なくとも三つの大きな側面があります。
一つ目は、1991年名古屋場所で14勝1敗を記録した相撲人としての実績です。東前頭13枚目から優勝した事実は、現在も相撲史に残る記録です。
二つ目は、1999年の協会退職以降に経験した生活の変化と、2014年の刑事事件です。親方という立場を離れた後、社会で新たな仕事を見つけようとした一方、法的責任を問われる出来事も経験しました。
三つ目は、2021年以降の闘病生活です。重い後遺症を抱えながら自宅療養を続け、周囲の支えを受けて過ごしました。
日刊スポーツの訃報では、妻の証言を通じて、療養中も相撲中継を見ていたことや、子どもたちに相撲を教える活動を生きがいにしていたことが紹介されています。
琴富士の人生を理解するうえで大切なのは、優勝の実績、事件の責任、闘病の経過を混同しないことです。 そのすべてを含めて、一人の元力士が歩んだ人生として振り返る必要があります。
【元関脇琴富士に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:元関脇琴富士は現在も生きていますか?
2025年8月8日に亡くなっています。享年60歳です。死因は脳梗塞で、神戸市内の自宅で午前7時43分に息を引き取りました。
Q2:琴富士の本名は何ですか?
本名は小林孝也(こばやし・たかや)です。1964年10月28日生まれで、千葉県千葉市出身です。
Q3:琴富士は1991年の名古屋場所で何勝して優勝しましたか?
東前頭13枚目で14勝1敗を記録して優勝しました。初日から13連勝する快進撃を見せ、平成初の平幕優勝として知られています。
Q4:琴富士の最高位は何ですか?
最高位は関脇です。1990年7月の名古屋場所で新関脇に昇進しました。
Q5:琴富士の偽装結婚事件の判決はどうなりましたか?
2014年5月1日、東京地方裁判所から懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けました。在留資格取得を目的とした虚偽の婚姻届提出が事件の争点でした。
Q6:琴富士はいつ相撲界を引退しましたか?
1995年秋場所を最後に現役を引退しました。その後は年寄・粂川を襲名して後進の指導に当たり、1999年7月に日本相撲協会を退職しています。
Q7:琴富士チャンネルは現在も活動していますか?
琴富士本人は2025年8月に亡くなっています。生前にはYouTubeの「琴富士チャンネル」を通じて情報発信をしていましたが、本人による新たな活動はありません。
元関脇琴富士こと小林孝也さんは、2025年8月8日に60歳で亡くなりました。
その人生は、1991年名古屋場所での14勝1敗という鮮烈な平幕優勝から始まる相撲ファンの記憶に残るものでした。
佐渡ケ嶽部屋で力士として成長し、1990年には関脇に昇進。引退後は粂川親方として後進を指導しましたが、1999年に日本相撲協会を退職。その後はタレントや飲食業などに活動の場を移しました。
2014年の偽装結婚事件で有罪判決を受け、2021年以降は脳梗塞による重い後遺症と闘う生活が続きました。
晩年まで相撲への関心を失わず、家族や関係者の支えを受けながら療養を続けた琴富士。
1991年の名古屋場所で見せた14勝1敗の優勝は、彼が力士として残した確かな功績です。
波乱に満ちた人生を振り返るとき、事件や病気だけでなく、土俵で見せた実力と相撲に注いだ情熱も忘れてはならないでしょう。
2026年現在、琴富士本人の新しい近況を伝えることはできません。しかし、元関脇として残した優勝記録と、その歩みは大相撲の歴史の一部として記憶され続けます。