2002年日韓ワールドカップの日本代表・韓国代表には、どの選手が選ばれていたのでしょうか。2002年5月31日から6月30日まで開催されたFIFAワールドカップは、日本と韓国が共同開催した歴史的な大会です。両国とも23人の登録メンバーで臨み、日本は初のベスト16、韓国はアジア勢初の4位という輝かしい成績を残しました。
2026年現在、大会から24年が経過しましたが、中田英寿、稲本潤一、小野伸二、洪明甫、朴智星らが活躍した2002年の代表チームは、今も日本と韓国のサッカー史を語るうえで欠かせません。この記事では、当時の登録記録と大会資料をもとに、日本代表23人・韓国代表23人の背番号、ポジション、所属クラブ、監督を整理し、両国の戦いを振り返ります。
【2002年日韓ワールドカップの全体像】日本はベスト16、韓国は4位

2002年FIFAワールドカップは、アジアで初めて開催された大会であり、FIFAワールドカップ史上初の2か国共同開催でもありました。出場国は32か国。日本と韓国は開催国として、それぞれ異なるグループに入りました。
大会開幕日は2002年5月31日、決勝は6月30日。日本代表はグループH、韓国代表はグループDで戦いました。両国は同じ大会を戦いましたが、決勝トーナメントで対戦することはありませんでした。
日本代表の大会成績- グループステージ第1戦:日本 2-2 ベルギー
- グループステージ第2戦:日本 1-0 ロシア
- グループステージ第3戦:日本 2-0 チュニジア
- ラウンド16:日本 0-1 トルコ
日本は2勝1分け、勝ち点7でグループHを首位通過しました。ベルギー戦でワールドカップ初の勝ち点を獲得し、ロシア戦で大会初勝利を記録。チュニジア戦にも勝利し、初めて決勝トーナメントへ進出しました。
しかし、6月18日のラウンド16ではトルコに0-1で敗戦。日本代表の大会はベスト16で幕を閉じました。
韓国代表の大会成績- グループステージ第1戦:韓国 2-0 ポーランド
- グループステージ第2戦:韓国 1-1 アメリカ
- グループステージ第3戦:韓国 1-0 ポルトガル
- ラウンド16:韓国 2-1 イタリア(延長戦)
- 準々決勝:韓国 0-0 スペイン(PK戦5-3)
- 準決勝:韓国 0-1 ドイツ
- 3位決定戦:韓国 2-3 トルコ
韓国はグループDを突破すると、ラウンド16でイタリアを延長戦の末に撃破。準々決勝ではスペインとの120分間の戦いを0-0で終え、PK戦を5-3で制しました。
準決勝ではドイツに0-1で敗れ、3位決定戦でもトルコに2-3で惜敗。それでも最終順位は4位。アジアの代表チームがワールドカップで残した歴史的な成績となりました。
日本サッカー協会の大会回顧では、日本の初勝利や初の決勝トーナメント進出が大きな節目として紹介されています。一方、韓国サッカー協会の公式歴史資料も、ヒディンク監督率いる代表がポルトガル、イタリア、スペインを破って4強入りしたことを記録しています。
【日本代表23人の公式登録メンバー一覧】背番号・ポジション・所属クラブ
日本代表を率いたのは、フランス出身のフィリップ・トルシエ監督です。若手と経験豊富な選手を組み合わせたチーム編成で、海外クラブでプレーする選手とJリーグを中心に活躍する選手が融合しました。
以下は2002年大会の登録メンバー23人です。所属クラブは大会開幕時期の記録に基づき、当時の名称で記載しています。
GK(ゴールキーパー)3人- 背番号1:川口能活/ポーツマス(イングランド)
- 背番号12:楢崎正剛/名古屋グランパスエイト
- 背番号23:曽ヶ端準/鹿島アントラーズ
川口能活、楢崎正剛、曽ヶ端準という3人がゴールキーパーとして登録されました。経験と安定感を備えたGK陣が、日本代表の守備を支える構成でした。
DF(ディフェンダー)6人- 背番号2:秋田豊/鹿島アントラーズ
- 背番号3:松田直樹/横浜F・マリノス
- 背番号4:森岡隆三/清水エスパルス
- 背番号6:服部年宏/ジュビロ磐田
- 背番号16:中田浩二/鹿島アントラーズ
- 背番号17:宮本恒靖/ガンバ大阪
秋田豊、松田直樹、森岡隆三ら経験豊富な選手に加え、宮本恒靖、中田浩二といった選手も選ばれました。複数の選手が守備の異なる役割を担えることも、この代表チームの特徴でした。
MF(ミッドフィールダー)10人- 背番号5:稲本潤一/アーセナル(イングランド)
- 背番号7:中田英寿/パルマ(イタリア)
- 背番号8:森島寛晃/セレッソ大阪
- 背番号14:三都主アレサンドロ/清水エスパルス
- 背番号15:福西崇史/ジュビロ磐田
- 背番号18:小野伸二/フェイエノールト(オランダ)
- 背番号19:小笠原満男/鹿島アントラーズ
- 背番号20:明神智和/柏レイソル
- 背番号21:戸田和幸/清水エスパルス
- 背番号22:市川大祐/清水エスパルス
中盤には中田英寿、稲本潤一、小野伸二という海外組がそろいました。さらに森島寛晃、福西崇史、小笠原満男ら国内組も選ばれ、攻撃と守備の両面を担う陣容になっています。
特に中田英寿の7番、稲本潤一の5番、小野伸二の18番は、当時の日本代表を象徴する背番号として記憶されています。
FW(フォワード)4人- 背番号9:西澤明訓/セレッソ大阪
- 背番号10:中山雅史/ジュビロ磐田
- 背番号11:鈴木隆行/鹿島アントラーズ
- 背番号13:柳沢敦/鹿島アントラーズ
前線にはベテランの中山雅史、鈴木隆行、西澤明訓、柳沢敦が選出されました。
初戦のベルギー戦では鈴木隆行が得点を記録。第3戦のチュニジア戦では中盤の森島寛晃と中田英寿がゴールを決めるなど、複数の選手が得点に絡みました。
日本代表23人の内訳はGK3人、DF6人、MF10人、FW4人。中盤を厚くした構成が、トルシエ監督のチーム編成を特徴づけていました。
【韓国代表23人の公式登録メンバー一覧】背番号・ポジション・所属クラブ
韓国代表を率いたのは、オランダ出身のフース・ヒディンク監督です。2002年大会で韓国を史上初の準決勝進出へ導き、世界のサッカー界に強い印象を残しました。
韓国代表には国内リーグ所属選手だけでなく、日本や欧州のクラブでプレーする選手も含まれていました。特に日本のJリーグでプレーしていた選手が複数選出されていたことは、当時の両国のサッカー交流を示す興味深い点です。
GK(ゴールキーパー)3人- 背番号1:イ・ウンジェ(李雲在)/水原三星ブルーウィングス
- 背番号12:キム・ビョンジ(金秉址)/浦項スティーラース
- 背番号23:チェ・ウンソン(崔殷誠)/大田シチズン
正GKを務めたのは背番号1のイ・ウンジェです。決勝トーナメントでも重要な役割を果たし、韓国の歴史的な4位を支えました。
DF(ディフェンダー)6人- 背番号2:ヒョン・ヨンミン(玄泳民)/蔚山現代
- 背番号4:チェ・ジンチョル(崔眞喆)/全北現代モータース
- 背番号7:キム・テヨン(金泰映)/全南ドラゴンズ
- 背番号10:イ・ヨンピョ(李榮杓)/安養LGチーターズ
- 背番号15:イ・ミンソン(李敏成)/釜山アイコンズ
- 背番号20:ホン・ミョンボ(洪明甫)/浦項スティーラース
守備陣の中心として注目されたのが、背番号20の洪明甫です。豊富な国際経験を持つベテランであり、韓国代表の精神的支柱でもありました。
ヒディンク監督のもとで組織的な守備を形成し、強豪国との試合でも粘り強く戦いました。
MF(ミッドフィールダー)7人- 背番号3:チェ・ソンヨン(崔成勇)/水原三星ブルーウィングス
- 背番号5:キム・ナミル(金南一)/全南ドラゴンズ
- 背番号6:ユ・サンチョル(柳想鐵)/柏レイソル(日本)
- 背番号13:イ・ウルヨン(李乙容)/富川SK
- 背番号17:ユン・ジョンファン(尹晶煥)/セレッソ大阪(日本)
- 背番号21:パク・チソン(朴智星)/京都パープルサンガ(日本)
- 背番号22:ソン・ジョングク(宋鐘國)/釜山アイコンズ
中盤の注目選手は、若手の朴智星と経験豊富な柳想鐵です。
朴智星は当時21歳。京都パープルサンガに所属していた選手で、運動量と攻守にわたる貢献が特徴でした。ポルトガル戦で決勝ゴールを挙げ、韓国のグループ突破にも大きく貢献しています。
柳想鐵は日本の柏レイソルでプレーしていた選手で、守備と攻撃の両面で存在感を発揮しました。
FW(フォワード)7人- 背番号8:チェ・テウク(崔兌旭)/安養LGチーターズ
- 背番号9:ソル・ギヒョン(薛琦鉉)/アンデルレヒト(ベルギー)
- 背番号11:チェ・ヨンス(崔龍洙)/ジェフユナイテッド市原(日本)
- 背番号14:イ・チョンス(李天秀)/蔚山現代
- 背番号16:チャ・ドゥリ(車杜里)/韓国大学在学
- 背番号18:ファン・ソンホン(黄善洪)/柏レイソル(日本)
- 背番号19:アン・ジョンファン(安貞桓)/ペルージャ(イタリア)
韓国の攻撃陣で特に注目されたのは安貞桓です。イタリアのペルージャに所属していたストライカーで、ラウンド16のイタリア戦では延長戦に決勝ゴールを記録しました。
また、ファン・ソンホンは経験豊富なベテランFWとしてチームに加わり、チェ・ヨンスやソル・ギヒョンらも攻撃の選択肢となりました。
韓国代表の登録メンバーは、GK3人、DF6人、MF7人、FW7人という構成です。なお、選手のポジション表記は資料によって多少異なる場合があります。ここでは大会登録資料と当時の選手紹介を参考に、主な役割を整理しています。
【日本代表と韓国代表の関係性を比較】監督・主力・所属クラブの違い
両国は同じ開催国でありながら、チーム作りと大会での到達点には違いがありました。日本は若手の成長と技術的な連携を重視し、韓国は高い運動量と強度を生かしたチームとして躍進しました。
両チームの関係性を、監督、中心選手、所属クラブ、大会成績という観点から整理すると、次のようになります。
| 比較項目 | 日本代表 | 韓国代表 |
|---|---|---|
| 監督 | フィリップ・トルシエ | フース・ヒディンク |
| 登録人数 | 23人 | 23人 |
| 主な中心選手 | 中田英寿、稲本潤一、小野伸二 | 洪明甫、朴智星、柳想鐵 |
| 海外所属の主な選手 | 中田英寿(パルマ)、稲本潤一(アーセナル)、小野伸二(フェイエノールト) | 朴智星(京都パープルサンガ)、安貞桓(ペルージャ)、ソル・ギヒョン(アンデルレヒト) |
| グループステージ | グループH首位通過 | グループD首位通過 |
| 決勝トーナメント | ラウンド16で敗退 | 準決勝進出 |
| 最終順位 | ベスト16 | 4位 |
| 歴史的な成果 | ワールドカップ初勝利・初の決勝トーナメント進出 | アジア勢初のワールドカップ4位 |
この比較で注目したいのは、両国ともグループステージを首位で通過していたことです。
日本はベルギー、ロシア、チュニジアを相手に安定した結果を残し、開催国として期待された役割を果たしました。韓国もポーランド、アメリカ、ポルトガルとのグループDを突破し、決勝トーナメントでさらに勢いを増しました。
また、両国のメンバーには日本と韓国のクラブを行き来する選手がいました。韓国代表の朴智星や柳想鐵、ファン・ソンホンらが日本のクラブに所属していたことは、当時の東アジアサッカーの人的交流を象徴しています。
【監督と注目選手を深掘り】トルシエとヒディンクは何を変えたのか
フィリップ・トルシエが日本代表にもたらしたもの日本代表の監督フィリップ・トルシエは、1998年のフランス大会後に就任しました。日本サッカー協会の大会回顧によれば、トルシエは世代別代表も指揮し、若手選手の育成と世代融合を進めました。
その成果として、1999年のFIFAワールドユース選手権で日本は準優勝。2000年のアジアカップでは優勝を果たしています。
この時期に成長した選手たちは、後に「黄金世代」と呼ばれるようになりました。小野伸二、稲本潤一らは若くして国際経験を積み、2002年大会では日本代表の主力として活躍しました。
中田英寿・稲本潤一・小野伸二の海外経験日本代表の中盤を語るうえで欠かせないのが、中田英寿、稲本潤一、小野伸二の3人です。
中田英寿はイタリアのパルマに所属。海外での経験を生かし、日本の攻撃を組み立てる重要な役割を担いました。チュニジア戦では追加点を決めています。
稲本潤一はイングランドのアーセナルに所属していました。ベルギー戦で得点を挙げ、続くロシア戦でもゴールを記録。2試合連続得点という活躍で、日本の初勝利に大きく貢献しました。
小野伸二はオランダのフェイエノールトでプレーしていました。欧州の舞台で培った技術と視野の広さを持ち、日本代表の中盤を支えた選手です。
日本サッカー協会も、中田英寿のセリエAでの実績や、小野伸二のUEFAカップ制覇を2002年大会前の重要な背景として紹介しています。
フース・ヒディンクが韓国代表を4強へ導いた理由韓国代表のフース・ヒディンク監督は、オランダやスペインのクラブ、オランダ代表などで経験を積んだ指導者です。
韓国代表では選手のフィジカル面と運動量を高め、チーム全体で連動して戦うスタイルを構築しました。高い位置から相手に圧力をかけ、攻守の切り替えを速くする戦い方が特徴でした。
2002年大会前には、韓国のワールドカップ史上初勝利さえ実現していませんでした。しかしヒディンク体制のチームはポーランド戦で2-0の勝利を挙げると、ポルトガル、イタリア、スペインを次々と破りました。
大会前の評価を大きく覆したこの躍進は、監督の戦術だけでなく、選手の体力強化、チームの連携、開催国としての環境が組み合わさった結果でもあります。
洪明甫と朴智星が象徴した韓国代表の世代融合韓国代表の象徴的な選手として挙げられるのが、洪明甫と朴智星です。
洪明甫(ホン・ミョンボ)は長年韓国代表を支えてきたベテランDFです。豊富な国際経験を持ち、守備陣の中心としてチームをまとめました。背番号20を着けた彼は、韓国の歴史的な4位を語るうえで欠かせない存在です。
一方、朴智星(パク・チソン)は当時21歳の若手選手でした。京都パープルサンガでプレーしていた朴智星は、運動量と技術を生かして攻守両面で存在感を発揮。ポルトガル戦では決勝点を決めています。
その後、朴智星はPSVアイントホーフェンを経てマンチェスター・ユナイテッドでも活躍しました。2002年大会は、世界的な選手へ成長していくキャリアの重要な転換点となりました。
洪明甫という経験豊富なベテランと、朴智星という次世代の中心選手が同じチームにいたことは、韓国代表の強さを理解するうえで要点です。
【日本のベスト16と韓国の4位を検証】両国の歴史的な成績はなぜ違ったのか
日本はグループステージで着実に結果を残した日本代表の2002年大会は、ワールドカップの歴史において大きな転換点でした。
1998年のフランス大会では3戦全敗。初出場の経験を経て迎えた2002年大会では、初戦のベルギー戦で引き分け、ロシア戦で初勝利、チュニジア戦で2勝目を挙げました。
特にロシア戦は、日本のワールドカップ史上初勝利として記録されています。JFAの大会記録によると、この試合はテレビ視聴率66.1%を記録するなど、国内でも非常に大きな注目を集めました。
決勝トーナメントではトルコに敗れましたが、初めてのベスト16進出という目標を達成。2006年以降の日本代表のワールドカップ挑戦につながる重要な大会になりました。
韓国は強豪国を次々に破り4位へ韓国代表の成績は、さらに歴史的なものでした。
ラウンド16ではイタリアと対戦。1-1で迎えた延長戦、安貞桓がゴールを決め、韓国が2-1で勝利しました。
準々決勝のスペイン戦は延長戦でも得点が生まれず、PK戦へ突入。韓国は5-3で勝利し、初めてワールドカップ準決勝に進出しました。
準決勝ではドイツに0-1で敗れ、3位決定戦ではトルコに2-3で敗戦。それでも最終順位4位という結果は、アジアサッカーの歴史に残る快挙でした。
FIFAの大会回顧でも、韓国がイタリアとスペインを破り、ドイツとの準決勝を経て4位になったことが紹介されています。
日本と韓国の成績を単純な優劣だけで判断できない理由日本はベスト16、韓国は4位という結果を残しました。数字だけを比較すれば韓国が上位ですが、両国はそれぞれ異なる課題と目標を持って大会に臨んでいました。
日本にとっては、1998年の初出場から4年で初勝利と決勝トーナメント進出を実現したことが大きな進歩でした。
韓国にとっては、過去の大会で勝利を挙げられなかった歴史を変え、世界の強豪国を相手に4強まで進出したことが大きな成果でした。
また、2002年大会には開催国という共通点がありましたが、両国の戦術やチーム構成は異なります。日本はトルシエ体制で育成した若手と海外組の融合、韓国はヒディンク体制で磨いた運動量とチーム全体の強度が、それぞれの特徴でした。
両国の成績を理解するには、最終順位だけでなく、1998年大会からの成長、監督の交代、選手の海外経験、各試合の結果を合わせて見る必要があります。
【日韓ワールドカップメンバーに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:2002年日韓ワールドカップの日本代表メンバーは何人でしたか?
A1:日本代表は23人です。GK3人、DF6人、MF10人、FW4人で構成され、監督はフィリップ・トルシエでした。
Q2:2002年日韓ワールドカップの韓国代表メンバーは何人でしたか?
A2:韓国代表も23人です。監督はフース・ヒディンクで、洪明甫、朴智星、安貞桓、柳想鐵らが選出されました。
Q3:2002年の日韓ワールドカップで日本と韓国は何位でしたか?
A3:日本はベスト16、韓国は4位でした。日本はラウンド16でトルコに0-1で敗れ、韓国は準決勝でドイツに敗れた後、3位決定戦でトルコに敗れています。
Q4:中田英寿、稲本潤一、小野伸二の背番号は何番でしたか?
A4:中田英寿は7番、稲本潤一は5番、小野伸二は18番でした。3人とも海外クラブに所属していた日本代表の主力選手です。
Q5:2002年韓国代表の背番号20は誰でしたか?
A5:洪明甫(ホン・ミョンボ)です。韓国代表の中心的なDFであり、チームを支えたベテラン選手でした。
Q6:2002年韓国代表の背番号21は誰でしたか?
A6:朴智星(パク・チソン)です。当時は京都パープルサンガに所属し、ポルトガル戦で決勝ゴールを記録しました。
Q7:2002年大会の登録メンバーは全員試合に出場しましたか?
A7:登録メンバー23人と、実際に試合へ出場した選手は区別する必要があります。23人は大会に登録された選手の一覧であり、全員が各試合に出場したことを意味するものではありません。
2002年日韓ワールドカップの日本代表と韓国代表は、それぞれ23人の選手で構成されていました。日本はフィリップ・トルシエ監督のもとで初のベスト16に進出し、韓国はフース・ヒディンク監督のもとでアジア勢初の4位を達成しました。
日本代表では中田英寿、稲本潤一、小野伸二ら海外組と、国内クラブで経験を積んだ選手たちの融合が印象的でした。韓国代表では洪明甫のリーダーシップと朴智星の躍動、安貞桓の決勝ゴールなどが歴史的な快進撃を支えました。
2026年から振り返ると、2002年大会は単なる共催イベントではありません。日本にとっては世界の舞台で戦う自信を得た大会であり、韓国にとってはアジアサッカーの可能性を世界に示した大会でした。
背番号や当時の所属クラブを確認することは、当時の選手たちがどのような環境で成長し、どのようなチームを形成していたのかを理解する手がかりになります。日本と韓国が残した異なる歴史的成果は、これからも2002年日韓ワールドカップを語る際の重要な記録として受け継がれていくでしょう。