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松本清張『日本の黒い霧』の真相は?占領期の事件・評価・史実との違いを徹底解説

神汰 春人 神汰 春人 • 更新: • 公開: • 読了約 26 分
目次

松本清張の『日本の黒い霧』は、1945年から1952年までの連合国軍占領下で発生した重大事件を取り上げ、その背後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の政治的意図や情報工作が存在した可能性を追究したノンフィクション作品である。下山事件、帝銀事件、松川事件、白鳥事件、「もく星」号遭難事件など、戦後日本の歴史に深い影を落とした出来事を独自の推理と資料分析によって結び付けた。

2026年現在も、本作で提示された推論のすべてが歴史的事実として確定したわけではない。事件そのものの発生、裁判の結果、占領軍の権限といった確認可能な事実がある一方、GHQによる謀略説や事件間の組織的な関連性には議論が残る。作品の内容、執筆背景、事件の経緯、後年の検証を整理すると、『日本の黒い霧』が戦後史に投げ掛けた問いの大きさが見えてくる。

【作品の全貌】松本清張『日本の黒い霧』とは何を描いた作品なのか

日本の黒い霧

『日本の黒い霧』は、作家・松本清張が戦後日本の政治、司法、社会の裏側に迫った代表的なノンフィクションである。

1960年の連載から社会現象へ

本作は1960年(昭和35年)1月号から12月号まで、月刊誌『文藝春秋』で連載された。全12回の連載を通じて、占領期に発生した事件や政治的問題を取り上げている。

著者の松本清張は1909年生まれ。『点と線』『眼の壁』などの社会派推理小説で知られ、1959年には『小説帝銀事件』も発表していた。1960年当時は51歳で、作家として大きく評価を高めていた時期に当たる。

本作で特徴的なのは、個々の事件を独立した犯罪として処理するのではなく、占領政策、冷戦、反共政策、警察組織、情報機関などの関係から再検討した点だ。

連載後には「黒い霧」という言葉自体が広まり、戦後社会の不透明な政治状況を表す表現として定着した。松本は本作を含む近現代史への取り組みが評価され、1963年には第5回日本ジャーナリスト会議賞を受賞している。

本作に収録された主な事件・テーマ

1974年刊行の文春文庫版は上下巻で構成され、次のようなテーマを収録している。

  • 下山国鉄総裁謀殺論
  • 「もく星」号遭難事件
  • 二大疑獄事件(昭電疑獄・造船疑獄)
  • 白鳥事件
  • ラストヴォロフ事件
  • 革命を売る男・伊藤律
  • 征服者とダイヤモンド
  • 帝銀事件の謎
  • 鹿地亘事件
  • 推理・松川事件
  • 追放とレッド・パージ
  • 謀略朝鮮戦争

巻末には「なぜ『日本の黒い霧』を書いたか」という文章も収録されている。ここでは著者自身が作品の執筆意図や、占領期の事件を追究する意味について説明している。

なお、三鷹事件は下山事件、松川事件と並ぶ国鉄関連の重大事件として本作を理解するうえで欠かせないが、文春文庫版の独立した収録章としては掲載されていない。この点は、作品の収録内容と関連する歴史事件を区別する際に押さえておきたい。

【歴史的背景】GHQ占領期の日本でなぜ重大事件が続発したのか

『日本の黒い霧』を理解するには、1945年から1952年までの占領期に日本が置かれていた政治的・社会的状況を知る必要がある。

GHQによる占領統治と日本社会の変化

日本は1945年8月のポツダム宣言受諾後、連合国軍による占領下に置かれた。実際の統治ではアメリカ主導のGHQが大きな権限を持ち、日本政府に対して多数の指令や政策上の要求を行った。

国立公文書館や外務省の公開資料によれば、GHQによる占領は1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効まで続いた。外務省外交史料館には、占領期間中のGHQ指令や日本政府との交渉に関する資料も公開されている。

この期間、日本では民主化政策、財閥解体、農地改革、労働組合の活動拡大など、大規模な社会変革が進められた。一方、国際情勢では米ソ対立が激化し、1949年の中国革命、1950年の朝鮮戦争などによって、東アジアの政治環境が急速に変化していった。

その結果、占領初期の民主化政策から、共産主義勢力の拡大を警戒する反共政策へと、アメリカの対日政策にも重点の変化が生まれた。

1949年の国鉄人員整理とレッド・パージ

本作で重要な背景となるのが、1949年前後の国鉄人員整理である。

行政機関職員定員法などに基づき、国鉄では大規模な人員削減が進められた。7月4日には第一次整理の対象となる約3万7,000人の氏名が発表され、労働組合との緊張が高まっていた。

同時期には、共産党員や労働運動関係者への取り締まりが強まり、後のレッド・パージにつながる政治的な動きも進んだ。

こうした状況の中で発生したのが、下山事件、三鷹事件、松川事件である。事件の発生時期が近接し、国鉄労働者や共産党関係者が捜査対象になったことから、政治的な背景を疑う見方が広がった。

松本清張は、この時代の政策転換と事件の連続性に着目した。個々の事件の背後に、占領政策をめぐる権力内部の対立や情報工作があったのではないかという問題意識が、本作全体を貫いている。

【事件を徹底検証】下山事件・三鷹事件・松川事件・帝銀事件の経緯と謎

本作を読むうえで中心となるのが、戦後日本を代表する未解決事件や冤罪事件である。ここでは、松本清張の推論と、裁判記録・公的資料から確認できる経緯を分けて整理する。

下山事件:国鉄総裁の死は自殺だったのか、他殺だったのか

1949年7月5日、初代国鉄総裁の下山定則が出勤途中に行方不明となった。翌6日、常磐線綾瀬駅付近の線路上で遺体が発見された。

この事件では、当初から自殺説と他殺説が対立した。

警視庁内部でも見解は一致していなかった。捜査第一課は自殺の可能性を重視する一方、第二課は高度な知能犯罪による他殺の可能性を主張した。解剖を担当した東京大学法医学教室の古畑種基教授も、死後に列車にひかれた可能性を示す鑑定を行ったが、その判断には異論もあった。

下山が行方不明になる前日には、国鉄の第一次人員整理約3万7,000人が発表されていた。総裁として大規模な人員削減を進める立場にあったことから、労働問題との関連も注目された。

松本清張は『下山国鉄総裁謀殺論』で、単なる自殺ではなく、政治的な背景を持つ謀殺だった可能性を強く主張した。GHQ内部の民主化推進派と反共政策を重視する勢力の対立にも注目している。

しかし、下山事件について殺人が司法上確定したわけではない。警視庁は自殺として捜査を終了し、他殺説を裏付ける確定的な結論は出ていない。

2024年には新聞記者の木田滋夫による『下山事件 封印された記憶』も刊行され、検察関係者の手記や新たな証言を手掛かりに、捜査の経緯が再検討された。事件から75年以上が経過しても、下山事件をめぐる議論は続いている。

三鷹事件:無人電車の暴走と竹内景助の死刑判決

1949年7月15日、東京都の国鉄三鷹駅構内から無人電車が突然暴走し、駅前の派出所や民家に突入した。6人が死亡し、20人以上が重軽傷を負った。

捜査当局は、国鉄の人員整理に反対する労働運動や日本共産党の関与を疑い、最終的に10人を起訴した。

裁判では、共産党員だった9人が無罪となった一方、非党員だった竹内景助は一審で無期懲役、控訴審では死刑判決を受けた。1955年に最高裁で死刑が確定したが、竹内は無実を主張し続け、1967年に獄中で病死した。

この事件の大きな問題は、当初の共同謀議説が裁判の過程で崩れ、最終的には竹内の単独犯行とされた点にある。

三鷹事件は、下山事件と松川事件の間に起きた国鉄関連事件であり、1949年の労働運動や政治的対立を考える際の重要な比較対象となっている。

松川事件:20人の被告が全員無罪になった戦後最大級の冤罪事件

1949年8月17日未明、福島県の東北本線松川駅と金谷川駅の間で旅客列車が脱線・転覆し、機関車の乗務員3人が死亡した。

捜査当局は、国鉄労組と東芝松川工場の労働組合関係者による共同謀議を疑い、労働者20人を逮捕・起訴した。

1950年の第一審では、被告全員に有罪判決が言い渡され、5人には死刑が宣告された。1953年の第二審でも17人が有罪とされた。

しかし、最高裁は1959年に重大な事実誤認の疑いを理由として有罪部分を破棄し、仙台高裁へ差し戻した。1961年8月8日の差し戻し審では、残る17人全員に無罪判決が言い渡された。

さらに1963年9月12日、最高裁が検察側の上告を棄却し、被告全員の無罪が確定した。

裁判の過程では、被告の自白の信用性、アリバイを裏付ける資料、捜査・証拠管理の問題などが争われた。事件を起こした真犯人は特定されず、事件そのものの真相は解明されないままとなった。

松本清張は『推理・松川事件』で、この事件を占領期の政治的な力学と関連付けて分析した。松川事件は、被告の無罪が確定したことと、列車転覆を実行した人物が特定されていないことを分けて理解する必要がある。

帝銀事件:平沢貞通の有罪判決と未解明の疑問

1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店で、何者かが防疫関係者を装い、行員ら16人に毒物を飲ませた。12人が死亡し、犯人は現金などを奪って逃走した。

この事件では、犯人が毒物を扱う知識を持っていたと考えられたことから、旧日本軍の細菌戦研究や毒物研究に関係する人物への捜査も行われた。

その後、画家の平沢貞通が逮捕され、1950年に東京地裁で死刑判決、1955年に最高裁で有罪判決が確定した。

しかし、平沢は一貫して無実を主張した。死刑が執行されることはなく、1987年5月10日に95歳で死亡した。

松本清張は、事件の手口や捜査方針の変化に注目し、旧日本軍の研究者やGHQとの関係を推理した。特に旧731部隊関係者への追及が進まなかったことについて、占領軍が戦後の軍事研究に利用する意図を持っていた可能性を提示している。

ただし、旧軍関係者と事件の直接的な関与が立証されたわけではない。平沢の有罪判決も司法上取り消されていない。

2025年には第20次再審請求が請求人の死亡に伴う手続上の理由で終了した。これは新証拠の内容を実体審理したうえで再審開始を否定した判断とは異なる。2026年現在も、1955年の確定判決は維持されている。

【関連事件と人物相関】白鳥事件・もく星号・ラストヴォロフ事件を整理

『日本の黒い霧』は、国鉄関連の事件だけでなく、警察、情報機関、航空事故、外交問題などにも対象を広げている。各事件の関係性を整理すると、作品の問題意識がより明確になる。

白鳥事件:警察幹部射殺と共産党関係者の裁判

1952年1月21日、札幌市警察本部の白鳥一雄警部が何者かに拳銃で射殺された。

白鳥は警備課長として日本共産党の活動を調査しており、当時の札幌では共産党関係者への捜査や政治的対立が激しくなっていた。

警察は共産党関係者を容疑者として捜査し、札幌地区委員長だった村上国治らを逮捕した。村上は無実を主張したものの、最終的に懲役20年の判決が確定した。

一方、実行犯とされた人物は逮捕されず、事件には未解明の部分が残された。

この事件に関連して特に重要なのが、1975年の最高裁による「白鳥決定」である。再審請求においても「疑わしい場合は被告人の利益に」という刑事裁判の原則が適用されると示したもので、その後の再審制度に大きな影響を与えた。

ただし、白鳥決定は村上の再審請求自体を認めたものではない。再審請求の判断基準に関する重要な司法判断として評価されている。

もく星号遭難事件:37人が死亡した航空事故と米軍管制の問題

1952年4月9日、日本航空の旅客機「もく星」号が羽田空港を出発し、伊豆大島の三原山に墜落した。乗員4人と乗客33人の計37人が死亡した。

事故当日は悪天候で、視界が極めて悪かった。捜索中には米軍側から機体を発見し、乗客を救助したという誤った情報も伝えられ、翌日に三原山で墜落機が発見されるという混乱が起きた。

松本清張は、飛行記録や管制交信を分析し、米軍管制官の高度指示に問題があり、その責任を隠すために事故情報が操作された可能性を推理した。

しかし、政府の航空事故調査会が示した推定原因は、操縦者が航法上の錯誤を起こし、最低安全高度を下回って飛行したことによる山腹への衝突だった。

2019年の国会審議でも、国土交通大臣は当時の事故記録が残されていないことを説明し、当時の議事録に基づく推定原因を示している。米軍管制官のミスや組織的隠蔽が確定したわけではない。

ラストヴォロフ事件:ソ連の情報活動と日本人協力者

1954年1月、駐日ソ連代表部の二等書記官ユーリー・ラストヴォロフがアメリカへ亡命したことをきっかけに、情報収集活動が明らかになった。

2021年の参議院質問主意書に対する政府答弁では、ラストヴォロフが多数の日本人を使い、外務省の秘密文書などを収集していた事件と説明されている。

この事件は、戦後日本がアメリカの占領下にあっただけでなく、ソ連など外国の情報機関による諜報活動の対象にもなっていたことを示す。

松本清張は、こうした情報活動と占領期の政治的な力関係を関連付けて分析した。ただし、政府は関係者の詳細について、プライバシーや公安調査上の理由から回答を控えている事項もある。

事件・人物・史実と作品の関係を一覧で比較
事件・人物 確認できる史実 作品における主な論点 2026年時点の整理
下山事件 1949年7月、国鉄総裁下山定則の遺体を発見 GHQ内部の対立と謀殺説 自殺・他殺の論争が残る
三鷹事件 1949年7月、無人電車が暴走し6人死亡 国鉄人員整理と政治的背景 竹内景助の死刑確定。事件の全容には議論が残る
松川事件 1949年8月、列車転覆で乗務員3人死亡 労働者への捜査と政治的謀略の可能性 1963年に全被告の無罪が確定。真犯人は不明
帝銀事件 1948年1月、毒物により12人死亡 旧軍の毒物研究と捜査方針の変化 平沢貞通の死刑判決は維持
白鳥事件 1952年1月、白鳥一雄警部が射殺 共産党への捜査と情報機関の影響 1975年の白鳥決定が再審制度に影響
もく星号遭難事件 1952年4月、三原山に墜落し37人死亡 米軍管制官の責任と情報隠蔽の可能性 公式推定原因は操縦者の航法上の錯誤
ラストヴォロフ事件 1954年、ソ連代表部員による情報収集活動が発覚 外国情報機関と日本人協力者の関係 情報収集活動の存在は政府答弁でも確認

【日本の黒い霧の真相】松本清張の推論と公的記録はどこまで一致するのか

本作をめぐる最大の疑問は、取り上げられた事件が本当にGHQの謀略によって引き起こされたのかという点にある。

この問題を考えるには、事件の発生そのもの、捜査・裁判で確定した事実、著者による推論の3つを区別する必要がある。

事実として確認できるGHQの強い権限

GHQが占領期の日本に対して大きな政治的・行政的権限を持っていたことは、公式資料から確認できる。

外務省の外交史料館には、GHQが日本政府に発した指令や、日本政府がそれに対応するために作成した文書が多数公開されている。

また、国立公文書館の資料からは、1952年4月28日に占領が終了し、日本が主権を回復するまでの政治的経緯を確認できる。

したがって、占領軍が日本の政策や行政に影響を及ぼしていたという清張の問題意識には、歴史的な根拠がある。

しかし、GHQに強い権限があったことと、特定の殺人事件や列車転覆事件をGHQが実行・指揮したことは別の問題である。

下山事件の謀殺説は立証されているのか

下山事件では、警視庁内部の捜査方針の違いや法医学的な鑑定をめぐる対立が実際に存在した。

松本清張は、その不一致を占領政策の転換やGHQ内部の政治的対立と結び付けて考えた。しかし、特定の組織が下山を殺害したという直接的な証拠が司法によって認定されたわけではない。

そのため、作品の謀殺論は、事件の疑問点を浮かび上がらせる重要な仮説ではあるものの、確定した歴史的結論として扱うことはできない。

松川事件は冤罪だったが、真犯人まで判明したわけではない

松川事件は、作品の推論と後年の司法判断を比較するうえで特に重要である。

20人の労働者は最終的に全員無罪となった。裁判では証拠の信用性や捜査の適正性が大きな問題となり、国家賠償請求訴訟でも元被告側の主張が認められた。

ただし、被告全員の無罪が確定したことは、GHQが事件を計画したことの証明ではない。

列車転覆という犯罪行為が存在したことと、その実行犯が特定されていないことを分けて考える必要がある。

帝銀事件では旧軍関係者の関与が証明されたのか

帝銀事件では、捜査初期に旧日本軍の毒物・細菌研究関係者が注目されたことが知られている。

しかし、旧731部隊関係者が事件を実行したという事実は確定していない。GHQが旧軍の研究者を利用したという戦後史上の問題と、帝銀事件の犯人が誰だったかという犯罪捜査上の問題を混同してはならない。

平沢貞通の有罪判決は現在も維持されている一方、捜査や証拠評価に対する疑問を訴える再審運動も長年続いてきた。

もく星号遭難事件では公式調査と著者の推論が異なる

もく星号遭難事件は、松本清張の主張と公的な事故原因の違いが明確に表れる事例である。

清張は米軍管制官の高度指示ミスと、その責任を隠すための情報操作を推理した。一方、政府の事故調査会は操縦者の航法上の錯誤を原因として推定した。

加えて、後年の国会答弁では当時の事故記録が残されていないことも説明された。

つまり、管制上の問題や事故調査における情報不足には検証すべき論点があるものの、清張の提示した隠蔽説が公的に証明されたわけではない。

【評価と批判】『日本の黒い霧』はなぜ今も読み継がれるのか

『日本の黒い霧』の評価は、歴史資料を読み解く視点の先駆性と、推論を事実のように受け取ることへの注意という、2つの側面から考える必要がある。

高く評価される理由:公式発表の裏側を疑う姿勢

本作の大きな功績は、新聞報道や公的発表をそのまま受け入れるのではなく、記録の不一致や説明の不足に注目した点である。

松本清張は、事件関係者の立場、当時の政治状況、捜査機関の行動、占領政策の変化を組み合わせ、個々の事件を戦後史全体の中で読み解こうとした。

国際日本文化研究センターの研究論文「『内幕もの』の時代と松本清張『日本の黒い霧』」では、清張が内部の秘密情報に依存するのではなく、一市民の立場から新聞報道や既存資料を読み込み、公式見解の不自然さを探ろうとした方法が論じられている。

これは現代の調査報道にも通じる考え方である。公的な説明が存在するからといって、その説明があらゆる疑問に答えているとは限らない。

批判される理由:推理と歴史的証明の間に距離がある

一方で、本作には発表当時から批判もあった。

代表的な論点は、複数の事件の背後にアメリカ側の謀略を想定する構成が、推論に依存し過ぎているのではないかという問題である。

特に、事件の不自然な点や政治的な利害関係を示すことと、実際に特定の組織が事件を計画・実行したことを証明することには大きな隔たりがある。

作家の大岡昇平との論争も、作品の方法や歴史認識をめぐる批判を考える際に知られている。

2024年に紹介された保阪正康の著書『松本清張の昭和史』をめぐる書評でも、『日本の黒い霧』について、戦後間もない時期の資料不足や推理の飛躍が指摘されている。

保阪の評価では、作品をそのまま確定した歴史的真実として読むのではなく、隠された事実に挑戦しようとした先駆的な姿勢に注目することが重要とされている。

2026年に読む際の判断基準

現在の読者が本作を読む際には、次の3つの視点を持つと理解しやすい。

  • 第一に、確定した事実を押さえる。事件の発生日、被害状況、裁判結果、政府答弁など、公的な記録で確認できる情報を基礎にする。
  • 第二に、著者の推論を読み取る。どのような状況証拠からGHQや情報機関の関与を推理したのか、その論理の組み立てを確認する。
  • 第三に、後年の検証と比較する。新たな資料、研究論文、再審請求、国会答弁などによって、当時の推論がどこまで裏付けられたかを考える。

この読み方なら、清張の推理の魅力を楽しみながら、歴史的事実と仮説を混同せずに済む。

【プロの結論】『日本の黒い霧』が現代の読者に残した歴史的な意味

『日本の黒い霧』の本質は、単にGHQの謀略を告発することだけではない。

松本清張が問い掛けたのは、戦後日本の政治や司法がどのような力関係の中で動き、公式発表や裁判の結論が社会にどのように受け止められてきたのかという問題である。

下山事件では、捜査機関内部の見解の対立と死因をめぐる疑問が残った。三鷹事件では、竹内景助の死刑確定という司法判断と本人の無実の主張が対立した。松川事件では、20人の被告全員が無罪となりながら、真犯人は特定されなかった。帝銀事件では、平沢貞通の死刑判決が維持される一方、長年にわたって再審を求める動きが続いた。

これらの事件は、同じ時代に起きたからといって、すべてが同じ組織によって引き起こされたと結論付けられるものではない。しかし、占領期の政治的な力関係、情報公開の制約、捜査の適正性、司法判断の検証という共通する問題を浮かび上がらせている。

歴史を考えるうえで重要なのは、事件の公式な結論を無条件に信じることでも、反対に陰謀説を無条件に信じることでもない。どの証拠が存在し、何が立証され、どこに未解明の部分があるのかを丁寧に見極める姿勢である。

【日本の黒い霧】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:松本清張の『日本の黒い霧』は実話ですか?
A1:実際に発生した事件や公的記録、当時の報道を基礎にしたノンフィクションです。ただし、GHQによる謀略や各事件の背後関係については著者独自の推論が含まれており、すべてが歴史的事実として確定しているわけではありません。

Q2:『日本の黒い霧』で取り上げられた事件の真犯人は判明していますか?
A2:事件によって異なります。松川事件では全被告の無罪が確定しましたが、列車転覆の実行犯は特定されていません。下山事件も自殺説と他殺説の論争が残っています。帝銀事件では平沢貞通の死刑判決が確定していますが、事件の証拠評価をめぐる議論が続いています。

Q3:日本の黒い霧はGHQの陰謀を証明した作品ですか?
A3:GHQの占領政策や情報活動について歴史的な問題提起を行った作品ですが、各事件に対するGHQの直接的な関与を証明したものではありません。作品の推論と公的資料による裏付けは区別する必要があります。

Q4:三鷹事件と松川事件は同じ事件ですか?
A4:別々の事件です。三鷹事件は1949年7月15日に東京都の三鷹駅で発生した無人電車暴走事件、松川事件は同年8月17日に福島県の東北本線で発生した列車転覆事件です。どちらも国鉄の人員整理や労働運動が激化していた時期に起きました。

Q5:帝銀事件は2026年現在、冤罪と確定していますか?
A5:冤罪と司法上確定したわけではありません。平沢貞通の死刑判決は1955年に確定し、現在も取り消されていません。一方、捜査や証拠評価に対する疑問が残り、再審を求める動きも長年続いてきました。

Q6:『日本の黒い霧』を読むなら、どの事件から始めるのがおすすめですか?
A6:まずは下山事件、帝銀事件、松川事件がおすすめです。下山事件は占領期の政治的背景、帝銀事件は捜査と旧軍研究の問題、松川事件は司法制度と冤罪の問題を理解する入口になります。その後、白鳥事件やラストヴォロフ事件に進むと、作品全体の構造がつかみやすくなります。

松本清張の『日本の黒い霧』は、占領期の重大事件を独自の視点から分析し、戦後日本の政治や社会に潜む不透明な問題を浮き彫りにした作品である。

下山事件、三鷹事件、松川事件、帝銀事件、白鳥事件、もく星号遭難事件、ラストヴォロフ事件など、それぞれの事件には異なる経緯と司法上の結論がある。GHQの占領政策が日本社会に大きな影響を与えたことは史実だが、個々の事件を一括してGHQの謀略と断定することはできない。

作品の価値は、すべての推論が正しかったかどうかだけで決まるものではない。公的記録の不一致に目を向け、権力と情報、司法と社会の関係を問い続けた点にある。

2026年に読み直しても、本作は戦後日本の歴史を多角的に理解するための重要な出発点となる。著者の推理を楽しみながら、国立国会図書館、国立公文書館、国会会議録、裁判記録、後年の研究成果を照らし合わせることで、作品の魅力と歴史的な限界の両方が見えてくる。

主な検証資料

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神汰 春人
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俳優・アーティストの公式発表や所属事務所の一次情報を突き合わせて記事を整理。出典を明記し、数字と日付は必ず元資料で確認してから執筆する。

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