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貴乃花の横綱昇進はいつ?22歳で第65代横綱へ、連続全勝優勝と見送りの真相を徹底解説

蓮 月夜 蓮 月夜 • 更新: • 公開: • 読了約 21 分
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大相撲の第65代横綱・貴乃花光司が横綱に昇進したのは、1994年(平成6年)11月23日です。当時22歳3カ月。1994年9月場所と11月場所で2場所連続15戦全勝優勝を達成し、横綱審議委員会の推薦を経て、正式に横綱昇進が決まりました。実際に横綱として番付に載ったのは、翌1995年1月場所です。

しかし、貴乃花の横綱昇進は一度ですんなり決まったわけではありません。1994年9月場所後には、全勝優勝を果たしていたにもかかわらず、横綱審議委員会の投票で推薦が見送られるという異例の展開がありました。そこには、大相撲の昇進基準である「大関で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」という内規と、当時の貴乃花の実績をどう評価するかという問題がありました。

日本相撲協会の公式プロフィールや歴代横綱記録、当時の共同通信報道、2026年の最新報道をもとに、昇進決定までの経緯、大関時代の成績、曙とのライバル関係、伝達式の口上、引退後の現在までを時系列で整理します。

【結論】貴乃花の横綱昇進は1994年11月23日!22歳で第65代横綱に

貴乃花横綱昇進

貴乃花の横綱昇進について、まず押さえておきたいのは、昇進が正式に決まった日と、横綱として本場所に登場した時期は異なるという点です。

1994年11月23日、日本相撲協会は番付編成会議と理事会で貴乃花の横綱昇進を正式に決定しました。そして翌1995年1月場所から、第65代横綱として土俵に上がっています。

貴乃花の横綱昇進プロフィール
  • 本名:花田光司
  • 四股名:貴乃花光司
  • 生年月日:1972年8月12日
  • 出身地:東京都中野区
  • 所属部屋:藤島部屋、のちの二子山部屋
  • 大関昇進:1993年3月場所
  • 横綱昇進決定:1994年11月23日
  • 横綱としての初場所:1995年1月場所
  • 横綱在位:1995年1月~2003年1月
  • 幕内優勝:22回
  • 引退:2003年1月場所

日本相撲協会の公式プロフィールでも、貴乃花は第65代横綱として登録されています。横綱在位は平成7年1月場所から平成15年1月場所まで。生涯戦歴は794勝262敗201休(90場所)、幕内戦歴は701勝217敗201休(75場所)です。

22歳3カ月での昇進はどれほど早かったのか

貴乃花は1972年8月12日生まれで、1994年11月23日の昇進決定時には22歳3カ月でした。

当時の年少昇進記録では、北の湖の21歳2カ月、大鵬の21歳3カ月に次ぐ史上3位の若さでした。また、初土俵から横綱昇進まで41場所という所要場所数も、年6場所制以降で曙に次ぐスピード記録として報じられています。

単に若くして昇進しただけではありません。すでに大関以下で7回の幕内優勝を経験しており、日本相撲協会の2025年公開クイズでも、大関以下での幕内優勝回数として最多記録だったことが紹介されています。

【連続全勝優勝の真実】1994年9月・11月場所で貴乃花が達成した偉業

貴乃花の横綱昇進を決定づけた最大の実績は、1994年秋場所と九州場所での連続全勝優勝です。

両場所とも15日間を戦い抜き、15勝0敗。2場所合計30番で一度も敗れず、圧倒的な成績を残しました。

1994年9月場所:大関として6回目の幕内優勝

1994年9月場所、貴乃花は西大関として出場し、15戦全勝で優勝しました。

この優勝は通算6回目の幕内優勝でした。しかも、同年1月・5月・9月に東京の両国国技館で開催された3場所すべてで優勝していたことから、相撲協会内でも横綱昇進を検討する動きが強まりました。

通常の昇進基準では、2場所連続優勝という条件が重視されます。しかし、貴乃花は1994年5月場所で優勝した後、7月場所では優勝を逃していました。そのため、9月場所の全勝優勝だけでは、原則的な連続優勝の条件を満たしていなかったのです。

それでも、年間を通じた安定感と3回の東京場所優勝、そして15戦全勝という結果が高く評価され、相撲協会は横綱審議委員会に推薦を諮問しました。

1994年11月場所:2場所連続15戦全勝で昇進条件を突破

9月場所後の見送りを受け、貴乃花は11月の九州場所に臨みました。ここで求められたのは、前場所の優勝が偶然ではないことを証明する圧倒的な結果です。

貴乃花はその期待に応え、再び15勝0敗の全勝優勝を達成しました。これが通算7回目の幕内優勝であり、大関としては5回目の優勝でした。

9月場所と11月場所の連続全勝優勝によって、2場所連続優勝という横綱推薦の原則を完全に満たしました。

当時の報道によると、11月21日に開催された横綱審議委員会では、出席した9人全員が貴乃花の推薦に賛成。前回の長時間審議とは対照的に、今回は短時間で全会一致の推薦が決まりました。

この結果を受け、11月23日に日本相撲協会が正式に昇進を決定。22歳の若き大関が、第65代横綱となりました。

2場所連続全勝優勝が持つ意味

大関で2場所連続優勝するだけでも難しい中、貴乃花は30戦全勝という、さらに高い水準の成績を残しました。

横綱は大関より上の番付であると同時に、降格制度のない特別な地位です。したがって、昇進に際しては一時的な好成績だけでなく、継続して最高位にふさわしい力量を発揮できるかが問われます。

貴乃花の場合、9月場所後の審査で生じた疑問を、11月場所の結果そのもので解消した点に大きな意味がありました。

【なぜ一度見送られた?】1994年9月場所後の横綱審議委員会と昇進審査の経緯

貴乃花の横綱昇進を語る際、最も誤解されやすいのが1994年9月場所後の審査です。

15戦全勝という圧倒的な優勝を達成したにもかかわらず、なぜ昇進できなかったのでしょうか。その答えは、当時の横綱推薦内規にあります。

横綱昇進の基本条件は「大関で2場所連続優勝」

横綱審議委員会が定める推薦内規では、横綱に推薦する力士について、品格と力量が抜群であることが求められています。

加えて、昇進の成績面では、大関で2場所連続優勝することを原則としています。また、それに準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合には、所定の委員の3分の2以上の賛成が必要です。

ここで重要なのは、2場所連続優勝という原則と、それに準ずる成績を評価する例外的な推薦手続きは、同じ扱いではないということです。

貴乃花の1994年9月場所後の審査は、まさに後者に当たりました。

9月26日の投票は賛成6・反対5で推薦見送り

1994年9月26日、横綱審議委員会は11人全員が出席して貴乃花の昇進問題を審議しました。

議論の焦点は、2場所連続優勝という原則を満たしていない貴乃花を、年間の優勝実績や秋場所の全勝優勝を理由に推薦できるかどうかでした。

当時の共同通信報道を収録した記録によると、約2時間に及ぶ審議の末、無記名投票が行われました。その結果は次のとおりです。

  • 賛成:6人
  • 反対:5人
  • 必要な賛成:11人の3分の2以上
  • 結果:推薦見送り

賛成が反対を上回っていたにもかかわらず、必要な3分の2以上の賛成に届かなかったため、推薦は成立しませんでした。

つまり、貴乃花の力量が否定されたわけではありません。2場所連続優勝という原則を満たさない場合に、例外的な推薦を認めるための手続き上の賛成数に届かなかったことが、見送りの直接的な理由でした。

11月21日には全会一致で推薦が決定

その約2カ月後、貴乃花は11月場所でも15戦全勝を達成します。

11月21日の横綱審議委員会では、出席した9人全員が賛成。今回は2場所連続優勝という原則を満たしていたため、前回のような例外的な審議を必要としませんでした。

この対照的な結果は、横綱昇進が単なる人気投票でも、優勝回数だけで決まるものでもないことを示しています。

9月場所後には「実績をどこまで例外的に評価するか」が争点となり、11月場所後には「原則を満たした力士を推薦するか」という明確な判断に変わりました。

貴乃花の横綱昇進は、相撲界の伝統的な昇進基準と、圧倒的な実績をどう評価するかという問題が交差した事例だったのです。

【年表・関係者一覧】貴乃花の大関時代から第65代横綱誕生まで

貴乃花の昇進を正確に理解するには、本人の成績だけでなく、横綱審議委員会、日本相撲協会、そして当時のライバル力士との関係も押さえておく必要があります。

日本相撲協会の歴代横綱記録と当時の報道をもとに、昇進までの主な転換点を整理しました。

時期 人物・出来事 主な実績・関係
1993年3月 貴乃花・大関昇進 20歳で大関となり、横綱を目指す立場へ。
1994年9月 秋場所・横綱審議委員会 15戦全勝で6回目の優勝。賛成6・反対5で推薦見送り。
1994年11月21日 横綱審議委員会 九州場所での連続全勝優勝を受け、出席者9人全員が推薦に賛成。
1994年11月23日 日本相撲協会 番付編成会議と理事会で第65代横綱への昇進を正式決定。
1995年1月 第65代横綱・貴乃花 新横綱として初めて本場所に登場。
2003年1月 貴乃花・現役引退 横綱在位の最終場所。通算22回の幕内優勝を記録。
2018年10月 日本相撲協会を退職 親方としての活動を終え、協会を離れる。
2026年 貴乃花光司氏の現在 広告出演、トークショー、SNSでの発信などを展開。
大関時代の成績は137勝28敗、優勝5回

貴乃花の大関在位は1993年3月場所から1994年11月場所までの11場所です。

大相撲の番付・戦歴資料によると、大関時代の成績は137勝28敗、勝率約83.0%。この期間に幕内優勝を5回記録しています。

横綱昇進前の幕内優勝は合計7回で、そのうち5回が大関時代の優勝でした。

これは、横綱昇進を目指す力士として、すでに十分な実力と安定感を備えていたことを示す数字です。

曙との関係も平成の大相撲を象徴する重要な要素

貴乃花の時代を語るうえで欠かせない存在が、第64代横綱・曙太郎です。

曙は1993年3月に横綱へ昇進し、貴乃花より先に最高位に到達しました。体格を生かした力強い突き押しを武器とする曙と、右四つからの寄りを得意とする貴乃花は、対照的な相撲スタイルで人気を集めました。

日本相撲協会が2026年1月に公開した大相撲クイズによると、曙と貴乃花は千秋楽の結びの一番で27回対戦。そのうち5回は、両者が同じ星で迎えた相星決戦でした。この5回という数字も史上最多記録として紹介されています。

このライバル関係は、貴乃花の横綱昇進後も続きました。特に1995年3月場所では、千秋楽に1敗同士で対戦し、曙が貴乃花を破って優勝しています。

昇進を決定づけたのはあくまで貴乃花自身の成績ですが、曙という強力なライバルの存在が、当時の大相撲をより魅力的なものにしていたことも見逃せません。

【昇進伝達式の口上】貴乃花が誓った「不撓不屈」と「不惜身命」の精神

1994年11月23日、横綱昇進の正式決定を受け、貴乃花は福岡市内の二子山部屋で昇進伝達式に臨みました。

横綱昇進伝達式は、日本相撲協会から派遣された使者が昇進を伝え、力士がその地位を受ける意思と今後の決意を口上で述べる儀式です。

貴乃花が述べた言葉は、現在も横綱昇進時の印象的な口上として語り継がれています。

「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます」

この口上は、当時の共同通信報道にも記録されています。

「不撓不屈」は困難に屈しない精神

不撓不屈(ふとうふくつ)とは、どのような困難に直面しても、決してくじけずに立ち向かう姿勢を意味します。

貴乃花は1993年の大関昇進時にも、この四字熟語を用いた口上を述べていました。横綱昇進時にも改めて不撓不屈の精神を掲げたことから、本人が大切にしていた信念の一つとして受け止められています。

「不惜身命」は相撲道に身を捧げる覚悟

もう一つの重要な言葉が、不惜身命(ふしゃくしんみょう)です。

これは、自分の身や命を惜し最初に、与えられた使命に全力で取り組むことを意味します。

貴乃花は横綱という地位を単なる名誉や番付上の到達点とは考えず、相撲道に生涯を懸けるという決意を口上に込めました。

この言葉が印象的なのは、昇進までの経緯とも重なるからです。9月場所後の推薦見送りという試練を経験しながら、次の場所で再び15戦全勝を達成した貴乃花。その歩みには、まさに不撓不屈という言葉が重なります。

横綱昇進伝達式の口上は、力士が新しい地位に対してどのような覚悟を持っているかを示す場です。貴乃花の口上が長く記憶されているのは、言葉の力強さだけでなく、そこに至るまでの実績と試練があったからでしょう。

【幕内優勝22回と引退後の現在】2026年の貴乃花光司は何をしている?

貴乃花は2003年1月場所で現役を引退しました。横綱としての在位は1995年1月から2003年1月まで。平成の大相撲を代表する横綱として、数々の記録を残しています。

幕内優勝22回は歴代横綱の中でも輝く実績

日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている貴乃花の幕内優勝回数は22回です。

内訳を見ると、横綱昇進前に7回、横綱昇進後に15回優勝しています。つまり、横綱になってからも15回の優勝を重ね、最高位にふさわしい力量を長期間にわたって示しました。

特に2001年5月場所の優勝は印象的な一番として知られています。膝の負傷を抱えながら出場し、優勝決定戦で武蔵丸を破って優勝。小泉純一郎首相が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」と述べたことでも広く知られる場所です。

こうした実績から、貴乃花は単に若くして昇進した横綱ではなく、長期にわたって優勝争いを牽引した力士として評価されています。

2018年に日本相撲協会を退職

現役引退後の貴乃花は、親方として後進の育成に携わりました。二子山部屋を継承した後、貴乃花部屋を率いるなど、指導者としても活動しました。

しかし、2018年9月25日に日本相撲協会へ退職届を提出。同年10月1日付で協会が退職届を受理し、角界の親方としての活動を終えました。

退職をめぐっては、元横綱日馬富士による貴ノ岩への暴行事件や、協会への告発状をめぐる見解の相違などが背景にありました。当時の貴乃花親方は記者会見で、自身の判断に至った経緯を説明しています。

ここで注意したいのは、2003年の現役引退と2018年の協会退職は別の出来事だということです。前者は力士としての引退、後者は親方として所属していた日本相撲協会からの退職を意味します。

2026年最新:トークショーや広告出演など幅広く活動

2026年11月3日時点で、貴乃花光司氏は54歳です。日本相撲協会に所属する親方ではなく、元横綱として相撲文化や自身の経験を伝える活動などを行っています。

2026年9月には、ふるさと納税サイト「ふるなび」の新しいテレビCMへの出演が発表されました。株式会社アイモバイルのプレスリリースによると、9月5日から全国放映が始まり、ラップを披露する企画など、現役時代の厳格な横綱像とは異なる一面も見せています。

また、2026年11月1日には福岡県北九州市の小倉でトークショーを開催。ABEMA TIMESの11月3日付報道では、経営者らに向けて現役時代の経験や相撲文化について話したことが紹介されました。

同日の報道では、自身のSNSに食事の様子を投稿したことも取り上げられています。20代から続けている梅干しとはちみつ、黒米などの食生活について発信し、日常の姿も公開しています。

2026年の貴乃花は、現役時代の記録や肩書だけにとどまらず、広告、イベント、個人の情報発信などを通じて活動しています。土俵を離れても、第65代横綱として培った経験を社会に伝える機会は続いています。

【よくある誤解を検証】貴乃花の横綱昇進で間違えやすいポイント

貴乃花の横綱昇進には、日付や昇進年齢、9月場所後の審査など、混同されやすい情報があります。ここでは、特に間違えやすいポイントを整理します。

誤解1:1994年11月場所で横綱になった?

厳密には異なります。1994年11月23日に横綱昇進が正式決定し、実際に横綱として番付に載ったのは1995年1月場所です。

誤解2:9月場所の全勝優勝は昇進に不十分だった?

優勝内容そのものが不十分だったわけではありません。15戦全勝という優秀な成績でしたが、直前の場所と連続した優勝ではなかったため、原則的な推薦基準を満たしていませんでした。

誤解3:貴乃花は横綱昇進時にすでに22回優勝していた?

これは誤りです。横綱昇進時点では通算7回の幕内優勝でした。最終的に現役生活を通じて22回の幕内優勝を記録しています。

昇進時の実績と引退時の通算実績を混同しないことが、貴乃花のキャリアを正しく理解するポイントです。

【貴乃花の横綱昇進】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:貴乃花が横綱に昇進したのは何年何月ですか?
A1:1994年11月23日です。日本相撲協会の番付編成会議と理事会で正式に決定しました。横綱として初めて本場所に登場したのは1995年1月場所です。

Q2:貴乃花は横綱昇進時に何歳でしたか?
A2:22歳3カ月です。1972年8月12日生まれで、1994年11月23日に第65代横綱への昇進が決まりました。北の湖、大鵬に次ぐ史上3位の年少昇進記録として報じられました。

Q3:貴乃花の横綱昇進が1994年9月場所後に見送られた理由は何ですか?
A3:大関で2場所連続優勝という横綱推薦の原則を満たしていなかったためです。例外的な推薦を認めるための横綱審議委員会の投票でも、賛成6・反対5となり、必要な3分の2以上の賛成を得られませんでした。11月場所で再び15戦全勝優勝を果たしたことで、昇進が決まりました。

Q4:貴乃花の横綱昇進伝達式の口上は何ですか?
A4:「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます」です。困難に屈しない精神と、相撲道に身を捧げる覚悟を表した言葉です。

Q5:貴乃花の幕内優勝回数と横綱在位期間は?
A5:幕内優勝は通算22回です。横綱在位は1995年1月場所から2003年1月場所までで、2003年1月場所に現役を引退しました。

Q6:2026年現在、貴乃花は何をしていますか?
A6:2018年10月に日本相撲協会を退職しており、現在は元横綱としてトークショーや広告出演、SNSでの発信などを行っています。2026年には「ふるなび」のテレビCM出演や、北九州市でのトークショーも報じられています。

貴乃花が第65代横綱に昇進したのは、1994年11月23日。22歳3カ月という若さでの昇進でした。

その背景には、1994年9月場所と11月場所での2場所連続15戦全勝優勝という圧倒的な実績がありました。

9月場所後には、横綱推薦の原則を満たしていないことから、横綱審議委員会で賛成6・反対5となり推薦が見送られました。しかし、貴乃花は次の九州場所でも全勝優勝を達成。今度は全会一致で推薦され、正式に横綱へと昇進しました。

大関時代の11場所で137勝28敗、優勝5回。引退までの幕内優勝は22回。曙とのライバル対決や、2001年の負傷を乗り越えた優勝など、貴乃花の相撲人生には数々の印象的な場面が残されています。

昇進伝達式で掲げた「不撓不屈」と「不惜身命」という言葉は、9月場所後の見送りを乗り越えて横綱の座をつかんだ歩みとも重なります。

2026年現在も、元横綱として相撲文化を伝えながら、CMやイベントなど新たな分野で活動する貴乃花光司氏。その横綱昇進の物語は、単なる若年記録ではなく、厳しい昇進基準に真正面から挑み、自らの相撲で評価を勝ち取った平成の大相撲を象徴する歴史として残っています。

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蓮 月夜

作品情報は放送局・配給会社の公式発表を第一に、放送日程や出演者を確認してから書く。

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